若手研究セミナー(転載)

日本教育社会学会では、魅力的な若手研究セミナーが開催されるようだ。私も若ければ参加したい内容だ。
http://www.gakkai.ne.jp/jses/pdf/20180119_doc1.pdf

【日本教育社会学会第6回若手研究セミナーのご案内】
●日時:3月24日(土)13時 ~ 3月25日(日)15時40分
●場所:東京大学教育学部・教育学研究科
●参加対象:大学院生または若手研究者で教育社会学に関心のある方(非学会員も可)
●定員:50名(定員になり次第、締め切り)
●プログラム:
【3月24日(土)】14:00~ 
講演 「日本(社会)という問題――バウンダリーを超えて」
  苅谷剛彦 (オックスフォード大学 教授)
15:20~ ディスカッション 司会:北村友人(東京大学准教授)
【3月25日(日)】
10:00~11:30 ワークショップー研究力の向上を目指して
1. 言説/テキストを分析するとはどういうことか
ファシリテーター :仁平典宏(東京大学准教授)
2. 「質的な調査と分析の方法に関する科目」をどう教えるか
ファシリテーター :結城恵(群馬大学 教授)
3. 海外での調査・国際共同研究
ファシリテーター 丸山英樹(上智大学 准教授)
14:30~ 全体会(報告)
■学会HP http://www.gakkai.ne.jp/jses/2018/01/19212829.php

我が子が東大に合格するということ

知り合いの人の子どもが「東大に合格した」という話しを聞いた。
自分の子どもが東大に合格するというのは親としてどのようなく気持ちなのであろうか。経験がないので実感としてわからないが、誇らしく、うれしく思うのであろうか。
東大合格者数を都道府県別をみると(2017年)、東京都がトップで916名、2位が神奈川県226名、3位が兵庫県で182名、4位が千葉県144名、5位が愛知県130名である。それに対して1ケタの県が7県(佐賀9名、秋田7、沖縄7、滋賀7、高知6、鳥取5、島根1)ある(全国学力テストの順位と対応していないのが興味深い)。
その知り合いは、この少数7県のうちの1つなので、自分の子どもが住んでいる県のトップ1ケタに入る優秀な子と、誇らしく思うのかもしれない。
ただ、最近は受験熱は醒めているし、東大より別の大学の医学部志望の子どもも多くなっているだろうから、東大合格はそんなうれしいことではないかもしれない。
それに、東大には優秀な教授陣が揃っているかもしれないが、そこでの教育が熱心に、また学生の為を思い行われているとは限らない。さらに、キャンパスライフの充実度や楽しさは東大は、平均あるいは平均以下であろう。
かえって、性格の偏ったものや個性が強く、競争心の旺盛なもの同士の集まりで、大学の友人関係がかなり難しいということもあるだろう。
確かに東大卒の就職はいいかもしれないが、東大卒の少ない職場に入り、能力以上の期待が大きかったり、東大卒なのにこんなこともできないのかと周囲から非難され苦労した例を聞いたことがある。

「東大生は頭がいいわけではなく、本人がそう思っているだけの凡庸な学生の集まり」というような趣旨のことを上野千鶴子(元東大教授)が言っていた。
 
 大分前になるが、非常勤で教えた東大での授業の受講生の中に、「大学を卒業したら専業主婦になる「」と言っている女子学生がいたが、今はその時以上に、東大生も普通の大学生と同じ意識をもっているのかもしれない。 それならば、何も心配することもなく、親も「子どもが人並みに大学に入れてよかった」と、過大な期待を抱くこともなく、子どもの成長を見守ることができるであろう。

追記 (これは、少し違った観点からの東大論)
 今は親の階層(階級)が子に影響する格差社会と言われるが、同じ東大卒のエリート官僚でも、親の階層によって考え方や行動が違ってくるのかもしれない。
 前川元文部次官は親の階層が高く(高校は麻布高校)、政治家に対しても忖度することなく事実を開示した。佐川元理財局長は福島出身で父を亡くした家庭で苦労して東大経済学部に入り(高校は都立九段高校)、成績優秀で財務省に入り出世しても、上の政治家の意向には逆らえない。
(上記は私の独断だが、一般にはこれは親の階層差ではなく、時代の流れだという見方の方が優勢であろう-下記の朝日新聞記事*参照)

*<官僚がもっとストレートに発言していた時もある。 前の文部科学事務次官で、加計学園の問題で「行政がゆがめられた」と発言した前川喜平氏は文科省の課長だった05年、当時の小泉内閣で進んでいた義務教育費国庫負担金の廃止に公然と反対した。世間の理解を得ようと実名を出してブログを立ち上げ、「クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望」と書き込んで話題になった。 官僚に対する「政治の支配」を強めたのは、安倍内閣だけではない。小泉氏以降の歴代首相は政治家や官邸の力を強める改革を続けた。09年の衆院選で民主党が「政治主導」を掲げて政権交代を果たすと一層、顕著になった。中野雅至・神戸学院大教授(行政学)は、官僚批判が強まったあまり、今度は政治が力を得すぎたとみる。「内閣人事局に強大な力を与えてしまい、官僚が主張すべきことや異見を言えなくなっている」と話す。(朝日新聞、3月16日朝刊) *

東日本大震災から7年

東日本大震災から7年が経過した。
7年と聞いて、まだ7年か経っていないのか、もっと昔のことのような気がした。 
今日(33月11日)の新聞やテレビ番組をみても、東日本大震災関係の記事や番組は少ない。

NHKスペシャル「めざした復興は」は、大越キャスターのレポートで今の東北の復興の現状を報告していた。
それをみて、災害支援のハードとソフトが噛み合っていないことを感じた。
災害公営住宅という都会のマンションのような立派な建物を作りそこに仮設住宅で暮らしていた人を移しているが、そこでは家賃や公益費を支払わねばならず、住民の交流する場も支援もなく、多くの高齢者がその金銭的負担に困り、お互いの交流もなく孤立している。
 津波が来ても大丈夫のように盛り土をして造成した土地に住民が戻ってこなくて、過疎化と人口減少で、ソフト面の復興の見込みが立たない。
 福島では国の補助金で立派な学校を再建しても、放射能の被害を恐れて子どもたちは戻ってこない。入学する子どもがいてもそれは避難先からで、バス代が膨大にかかり、町村の負担がかさむ。

 朝日新聞(3月11日朝刊)も、次のように、同じこと指摘している。
「新年度には災害公営住宅や高台移転の宅地の整備がほぼ完了する。被災者からみれば、そこは新たなスタート地点にすぎない。新居に移れば、家賃やローンの支払いが始まる。新しい土地で人と人とのつながりをつくり上げていくのも容易ではない。支援を必要としている人はまだたくさんいる。」
「県や市町村の負担が生じない形で、防潮堤や道路などの整備は進んだ。1区画数千万円を投じて造成したのに、入居希望者が減って多くの空きが出た宅地のように、見込みが外れた事業が散見されるのも事実だ。」

人々の忘却の早さ、震災の復興の遠いことと、支援のハードとソフトの連携の必要なことなどを感じた。

復興支援の歌、再掲

映画『わたくしを離さないで』を観る

 昔、内向の世代と言われた古井由吉の「杏子」は愛読書で何度も読み返した。そして自分の頭の中で、小説の文章から映像をくっきり描いていたのだと思う。その小説が映画化されたというので勇んで観に行ったが、自分で描いていたイメージとかなりかけ離れていて、がっかりしたことがある。
 小説は読者が文字を読み、登場人物の心理やその情景を思い描く(イメージする)のに対して、映画は(多少のセリフはあるが)主に映像を通して情景や登場人物の心理を知る、という違いがある(マンガも同じ)。

 カズオ・イシグロの『わたくしを離さないで』のイギリス映画をビデオで観た。次のような2つの感想をもった。

 一つは、小説と映画がかなり違うということ。映画は小説の中のセリフを半分も使っていないように感じた。映画としては、原作に忠実に作ろうとしているのは感じるのだが、なかのストリーも原作を少し変え,単純化しているところがあった。小説の中の心理描写を出演者の表情や演技で示して、それを見る人に理解させようとしているのだが、小説の中の複雑な心理を映画で描くのはやはり難しいと思った。

 もう一つは、小説を読んだ時は、主人公達が早死にしなくてはならない運命の哀しい話だなと感じたが、この映画を観て(特に最後のところ)、人は若くして死ぬ運命にあろうと、歳をとってから死のうと高々50年ほどの違いがあるだけで、同じだなと感じた(宇宙の時間から考えるとほんのわずかの差)。
 死が哀しいことであるのには違いがないので、その意味で、小説でも映画でも、人の命や死に関して考えさせられる物語だと思った。

「大槻文彦とネコ」   水沼文平

高田宏著「言葉の海へ」(新潮文庫)は、「言海」を作成した国語学者「大槻文彦」
の生涯を描いたものである。その中で言海の「ねこ」の項が紹介されている。

ねこ(名)【猫】
[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こ
ま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨ
コ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]
古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能
ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡
リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮
ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常
ニ圓シ。

文彦が「言海」を完成させたのは明治24年、今から127年前である。猫に関して、「人
家ニ畜(か)フ小サキ獸」「能ク鼠ヲ捕フ」「竊盜ノ性アリ」「性、睡リヲ好ミ、寒ヲ
畏ル」其晴(そのひとみ),朝ハ円ク、・・・・・」と、人との関係、性格、性癖、体の
特徴などが克明に記されている。127年前と現在の猫を比較して興味を覚えるのは「小
サキ獸」という表記で、決して「ペット」ではない。
〇「能ク鼠ヲ捕フ」:私が子どもの頃は天井裏で猫が鼠を追い回す騒動をよく聞いた
ものだが現在はどうだろうか。築40年の平屋の我陋屋にも鼠の存在は窺えない。
〇「竊盜ノ性アリ」:「泣くに泣けない魚屋の猫」という洒落言葉があるが、一方サザ
エさんの「お魚くわえたどら猫、追いかけて」の歌もある。昔の家は開放的だったので
野良猫が台所に入り込み魚などを盗んでいったが、閉鎖的な現在の住宅ではそれも不可
能であろう。
〇「睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル」:これですぐ思い出すのは童謡「犬は喜び庭かけ回り、猫
はこたつで丸くなる」である。
〇「其晴(そのひとみ),朝ハ円ク、・・・・・」:文彦の猫の目の一日の変化を追う表
現は猫に対する彼のただならぬ執着を感じる。

「言海」の完成間近、文彦44才の時、1才に満たない女児を結核性脳膜炎で亡くし、続
けて30才の妻「いよ」も腸チフスで失う。失意の文彦を慰めてくれたのは庭に出没する
野良猫だったのかも知れない。
なお、大槻文彦は仙台藩士で、父は 儒学者・ 大槻磐渓、祖父は 蘭学者の 大槻玄沢で
ある。日本銀行を創設した富田鉄之助(仙台藩士)は無二の親友である。

蛇足:仙台では野良猫を「のっつぉねこ」を呼ぶ。今日も我が家の庭に何匹かの「のっ
つぉねこ」が通ってくる。(水沼文平)