アメリカ(文化)の内面化

日本の真珠湾攻撃の時、アメリカの大学は日本人や日系の学生を守ったという話を以前に書いたが、その他にもアメリカの偉大さはあげればきりがない。今回の震災の時でも、アメリカ及びアメリカ軍のいち早い的確な支援は、アメリカの評価を上げている。
一方で、アメリカが広島、長崎に原爆を落とし、その広島に日本初の原発を作り、アジアへ原発を広めるきっかけにしようと画策し(さすがにそれは失敗したが)、アメリカの原発会社が多くの原発を日本に作り、70年の大阪万博に敦賀原発1号機の「原子の灯」をともし、原子力の「平和」利用や電力との結びつきを作ったのは、アメリカである。
戦後の日本人の自信を支えてくれたのはアメリカである。「メイド・イン・ジャパン」の優秀さ保障してくれたのもアメリカで、戦中の日本のアジアへの侵略行為も、アメリカの支援のもとで経済協力協定をアジア諸国と結び、「とりあえずフタ」をすることができた。
このように、私達の生活及び内面の中に、アメリカは深く入り込んでいる。それが今。中国の大国化やアラブ諸国の力の台頭で、アメリカの覇権の揺らぎ、日本のアメリカ一辺倒が立ち行かなくなっている。
(以上は、インタビュー・東大教授・吉見俊哉さん「高度成長とアメリカー成功物語の裏側で米支配が内面化、原発はその象徴」朝日新聞 9月4日朝刊による)

吉見教授の著作(『夢の原子力』ちくま新書、2012年8月)は、社会学者らしく、この戦後の歴史を、そして、日本人のアメリカに対するアンビバレントな心情を、的確に描き出している。我々の内面に深く入り込んでいるアメリカ(文化)を、意識することの重要性を指摘している。

今の大学の「英米(文学)学科」や「国際学部」の学生達は、アメリカに対して、どのように考えているのであろうか?英語ができ、憧れのアメリカに少しでも近づければハッピー、と脳天気に考えているわけではないであろうが、一度聞いてみたい気がする。

昔読んだ江藤淳の『アメリカと私』、藤原新也『アメリカ』も、もう一度読み直し、私が家族と一緒に過ごしたアメリカ(WISCONSIN)での1年間の生活も思い出し、私にとってアメリカとは何かも考え直してみたい。

このブログの少ない読者のひとりであるMさんより、含蓄のあるコメントを2通いただいた。掲載させていただく。

< 「アメリカ(文化)の内面化」を興味深く読みました。
吉見俊哉さんはアメリカから日本へのベクトルで語られていますが、私は日本人が本来持っている本能とも言える習性に言及し、吉見さんの考えを補強したいと思います。
儒教をひとつの例にとりますと、中国人や朝鮮人は人に肌を見せることは儒教の教えに反するので決してしません。しかし日本は遠山の金さんのように「もろ肌脱ぎ」が許される社会です。仏教も外来文化ですが日本人で「私は仏教徒です」という人は少ないと思います。
鎖国時代でも出島という針の穴を通して日本人は西洋の多くの文物を学び取りましたが、一方、浮世絵や歌舞伎などの文化が円熟期を迎えました。明治維新の時、富国強兵のなのもと、江戸時代に栄えた和算などをさらりと捨て、西洋の科学・技術を積極的に取り入れましたが、反面、日本の伝統文化の復活運動も盛んでした。太平洋戦争が終わって一カ月も経たないのに日本の女は米兵の腕にぶら下がっていましたが、これは彼女らが対象を変えただけのことです。
このように日本人は外来物を簡単に受け入れますが、八百万の神(古神道)など諸々のものが私たちに体内に沁み込んでいて、一見アメリカ文化が日本人に深く浸透しているように見えるものの、アメリカ文化に勝る新たなものが出てくると簡単にそっちに行ってしまうのが日本人のような感じがします。シャーマニズム、アニミズム、儒教、仏教、アメリカ教、原発教、ビートルズ教、ゴルフ教、なんでもオーライが日本人の特質ではないでしょうか。
私の独断と偏見です。ご笑読ください。>

<武内先生、藤原新也の「アメリカ」を再読されたでしょうか。P256、こんな文章に出会いました。 【受話器を置いた少女と父親は一瞬見つめ合い、どちらからともなく歩み寄る。そして静かに抱擁を交わしている。いたいけな少女がすでに他者への思いやりを身につけている。それだけ試練に遭ったということだろう。強く生きるのだ。年甲斐もなく感傷的な気分になった。それは打たれ強くなるということじゃない。受けた傷を恨むのじゃなく、それを糧として他者への思いを深めるということなんだ。 少女は、今はうまくやっている。上手に、愛を身につけはじめている】。 この記述に全く覚えがないのは、前に読んだ時、この個所を素通りしてしまったからでしょう。印象深かった本を私は何度も読み返します。その都度、新たな発見をします。年を経るごとに感じ方や見る視点が変わってきて、新たな発見に繋がってくるのかもしれません。藤原新也同様、年甲斐もなく「感傷的な気分」になった一文でした。「受けた傷を恨むのじゃなく、それを糧として他者への思いを深める」に彼の全存在が表出されていると思います。>

『大学就職部にできること』

若い研究者が次々と素晴らしい本を出している。ただ、読書離れが進んでいるし、大学図書館や公共図書館も財政難で本の購入を抑えるようになっているので、どのくらい購入数が伸びるかが心配。
上智大学卒、東大大学院卒(教育学博士)の大島真夫氏(東大社会科学研究所助教)が最近出版した本(『大学就職部にできること』勁草書房、2012年7月)は、今の若者の就職難の時代に、役立つ本であることは間違いない。
大島氏の博士論文がベースになっているが、とても読みやすく書かれている。指導教授の苅谷剛彦氏の論やこの分野の第1人者の本田由紀・東大教授の論を批判したり、スリリングな内容だ。
ただ、題(『大学就職部にできること』)が堅いのが気になる。「大学キャリアセンターにできること」「大学キャリアセンターにできないこと」「大学にキャリアセンターはいらない」などの題の方が、時代受けして、売れたのではないか。
 「1万部売れたら、印税が入るので、おごりますよ」と、本人から言われたので(?)、購入を皆さんに勧めたい。

曖昧なグレーゾーンが大切

Shinya talk らの転載
「私は旅をしていて国境と国境の間のグレーゾーンとおぼしき土地や島に足を踏み入れることがあるが、国と国との関係はそのグレーゾーンという不分明な時空によってお互いの沽券をなんとか保っているということがある。
というよりグレーゾーンというのは摩擦を引き起こすゾーンでもありながら互いの為政の方法によっては国境間の摩擦を避けるための潤滑ゾーンになっているとも言えるわけだ。
だが昨今、マルかバツかという二者択一的な気分が普通の人々の中にも横行し、その中庸というものが失われつつある。」(http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php)

今日は、千葉は、雨が降ったり止んだりで、はっきりしない天気であった。
しかし、夕方、大きな虹が空を覆い、しかも二重の虹で、さわやかな気分になった。

これからの大学 (思うこと)         

少子化で18歳人口が減少している中で、学生の確保に、各大学は必死になっている。パイが少なくなっているので、これまで以上に、また他大学以上に努力しないと、これまでと同じ数の学生や同じ質の学生を確保できない。
伝統のある国立大学、偏差値の高い大学、ブランドの私立大学は人気があり、定員割れを起す心配はないが、それらの大学も安閑としていると、入学希望者は減り、入試倍率が下がり、学生の偏差値や質も落ちてくる。
学生の大学選びの基準は、偏差値やブランドが相変わらず優位であろうか、それ以外の基準も段々優位になっている。東京大学の理Ⅰや理Ⅱに入るよりは、別の国立大学の医学部に入る方が、将来の職業を考えるといいと考える学生も多くなっているであろう。学校の教員になるのなら、有名大学に入るよりは、有名度や偏差値が低くても、国公私の教育学部や子ども学科に入学する方が、確実に教員免許が取れて、教員になれる確率は高い。
今、若年者の就職が厳しくなっている中で、資格が取れ、その資格を確実に就職に生かせる学部・学科に人気が出ている。教養志向の大学は、一部のブランド大学を除き、苦戦している。
 私立大学は、その収入源の多くを入学してくる学生の払う学納金(入学金、授業料、施設費、入学検定料等)に依存しているので、入学者が減るということは、致命的なことである。そこで、何とか、入学希望者を増やそうとさまざまな策を考え実行する。
 ただ、入学の敷居を低くして入学者を増やすことの対しては、大きなジレンマがある。それで何とか学生を確保できるかもしれないが、「誰でも入れる大学」という評判が立ち、次年度に入学希望者は減る、少なくても勉学意欲のある学生は、来なくなる。学生確保の施策(全員入学)が、次年度の学生確保を困難にするのである。
大学の良い評判を維持するためには、入学を希望しても、学力や意欲の低い学生を落とす入試戦略が必要である。しかし、それは、大学に経済的余裕がないと出来ない。
 経済効率を考えれば、学力・意欲の高い学生の確保→質の高い教育→就職実績の向上、大学の評判の向上→学力・意欲の高い学生の確保(以下同じ)が理想的だ。
 これからの大学について、いくつか、思いつくことを挙げてみたい。
1 入学してきた学生に、社会に出た時役立つ資格を取らせる。語学検定資格、保育・教員資格、看護資格、福祉関係の資格、スポーツ指導員資格、カウンセラー資格など、とにかく就職に役立つ資格を取らせて、さらにその資格に基づく職業に就けるように指導する。「就職にいい大学」という評判をもらえるように努力する。
2 学生に高い教養や専門的知識の基礎を身に付かせる。社会が大きく変化している中、実務的な知識や技術はすぐ陳腐化する。それより、どのような状況にも対応できる教養、専門的基礎を教育する方が、社会に出て役立つ。
3 学生が充実した大学生活を送れるようなさまざまな配慮を大学がする。教職員の親身な指導、少人数教育、図書館や食堂の充実、サークル活動の場の提供、各種イベント行事を通して、さまざまな人間関係、活動への参加を通して、大学生活に充実感を感じ、主体的な行動や能力を育成する。このような活動を通して、大学への愛着が高まる。
4 特色のある大学のカラーを打ち出す。それは、その大学の、建学の精神、伝統、卒業生の特質、教員の専門の強みなどから、その大学の魅力ある特色を出し、学生や世間にアピールする。
5 GPや科学研究費、各種機関の研究費など、外部資金を獲得し、大学の研究や活動を活性化する。資金的にも潤沢な研究や大学運営をする。
6 大学の名声を高める努力をいろいろする。教員が優れた著作、論文を発表する。学会で活躍する。マスコミに登場する。教員が政府関係、地域関係の審議会の委員を務める。講演をする。国や地域と連携したさまざまなイベントを企画する。学生のクラブが、全国や地区の大会や試合で活躍し、大学の名声を高めるのを支援する。
7 卒業生との連携を密にし、卒業生より寄付を集め、大学の施設設備、奨学金の充実を図る。
8 教員、職員、学生、卒業生が、大学をひとつのコミュニティーと考え、それへの愛着と一体感を持ち、それをよりよくしていくことが自分の喜び(や利益)にもなるという意識を持ち、行動する。