古井由吉のこと

好きで昔よく読んだ作家の訃報のニュースに接すると少しさびしい。今日(28日)の朝日新聞の朝刊に作家の古井由吉が82歳で死去というニュースが載っていた。その作風に関して次のように書かれていた。

<初期作品から、男女の関係の苦しさや、精神的に追い詰められていく人を緻密に描いてきた。高度成長期の普通のサラリーマンの内面にふれ、「いながらにして死んでいる」といった表現などで、戦後の社会が奥底に抱えていた傷に光をあてた。 「内向の世代」の作家は、社会問題やイデオロギーなどと距離をおいていると批判も受けた。しかし、その代表格である古井さんは、あいまいさも含めた記憶という個人的なものを探ることで、人間と社会に迫ったといえるだろう。>

私も古井由吉に関しては、このブログで2017年3月20日、2019年2月7日、2019年2月9日に取り上げている。「杳子」「妻棲」「先導獣」「円陣を囲む女たち」「行隠れ」など、昔感銘を受けた本を読み返し、冥福を祈ろう。

追記 詩人・作家、松浦寿輝も、追悼文を寄稿している(一部転載)

<古井さんが探求した心の世界は、なまじっかの「心理小説」が扱う領域をはるかに越え、身体の深層と、また歳月の経過と精妙に共振しながら絶えず変化しつづける、謎と逆説に満ちた広大な時空だった。それはほとんど一つの宇宙そのものだった。それが「内向の世代」などという単純なレッテルに収まりきるようなものではなかったのは言うまでもない。 ある時期以降、古井さんは「小説」という文学形式そのものから徐々に離脱し、物語ともエッセイとも散文詩ともつかない前代未聞の「言葉の芸術」の創造へと向かっていった。一見、変哲もない私小説のように見えながら、それは高度に前衛的な「反小説」の試みだった。>

哲学者の柄谷行人も友人だったようである。

千葉のダイヤモンド富士

 千葉は海に囲まれた県だが、山がない、あるいは山らしいものがあっても低いせいか、その海岸線や砂浜は単調である。センスのいい店もあまりない。その点高い山があり景観がよく、おしゃれな店の多い湘南や伊豆とは大違いである。

 私の住んでいる千葉市では、何とか魅力的な都市にしようと、市も必死である。埋め立てでできた稲毛海浜公園の海辺の砂浜にオーストラリアから購入した白い砂がまかれている。また千葉市の観光案内のホームページには、今の季節、千葉の海からダイヤモンド富士がよく見えるという案内が載っている。

<富士山頂にちょうど落日が重なる神秘の現象「ダイヤモンド富士」。人工海浜の長さが日本一の千葉市では、毎日少しずつ移動すれば、このダイヤモンド富士を「海越しの富士山」として、 約10日間観賞するチャンスがあります。 千葉Cityベイエリアでとっておきのひとときを。令和2年2月の観賞のチャンスは19日〜28日までの10日間!観賞時間やポイントをチェックして、ダイヤモンド富士観賞に出掛けよう!(https://www.chibacity-ta.or.jp/fuji)

このような案内が出ているとは知らず、一昨日(2月23日)の夕方、犬の散歩に、稲毛海浜公園に車で出かけた。「稲毛ヨットハーバー」の駐車場は30分まで無料になるので、いつものように短い時間車をそこに停めて夕日を見ながら犬を散歩させようとした。ところが大変な人が出ていてびっくり。車は駐車場いっぱいで、皆カメラを富士山と沈む夕日に向けていた。かろうじて車は駐車場に入れることはできたが、出るときは1時間以上かかり駐車料金(500円)は無料にならなかった。「2月23日17時19分頃、稲毛ヨットハーバーで、ダイヤモンド富士が見られる」と観光案内にはあり、私たちがそこに着いたのが4分前の17時15分。ぎりぎり夕日と富士山を見ることはできた。でもダイヤモンド富士といえるような写真は撮れなかった。

新型コロナウイルス禍(その2)

テレビのニュースを見ていると、新型コロナウィルスの感染経路が特定できず、一般の人々の中で感染が拡大する危険性が高まったと言われる。

半年前から綿密な打ち合わせのもとに企画されていた大学のサークルの久しぶりの同期会を中止するというメールが、幹事の友人から昨日届いた。皆楽しみにしていたとは言え、高齢者の集まりなので、中止は的確な判断であろう。

幸い現在小中高校や大学で新型コロナウリルスの陽性反応が出たというニュースは聞かないので、ほっとするが、これから学校や大学の3月は卒業式や謝恩会(また送別会)の季節である。これらの人が多く集まる行事はどのようになるのであろうか。やめられるものはやめる、なるべく人混みに出ないという方策をとるしかないであろう。サーズの時の台湾のように、日常生活は滞り、経済は停滞し、国は亡ぶとまで感じるほどまで、いかないことを願う。

南房総で水仙の香りを楽しむ

千葉に籠った生活で、新型コロナウィルスが巷に蔓延しているというテレビのニュースを見ていると、人の集まるところに行くのが怖くなる。2、3月は春休みで授業や学会はないが、いくつかの同窓会的な集まりがある。同窓会で高齢者が集まるのも危ないのではないか。今年の年賀状に、「そろそろ1度集まりましょう」という小学校の同窓生からのメッセージがあったが、今はやめておいた方がいいように思う。

それで、人が少ない千葉の南の方に出かけた。南房総に行くと、まだ屋根にブルーシートがかかっているところがたくさんあり、小さい山側の木々も折れているところがいくつかみられた。昨年10月の台風の被害が大きかったのであろう。

そのような中で、佐久間ダムの水仙は健在で、その群生と香りを楽しんだ。さらに南下して館山の先の方に行くと、沖縄のような南国の素朴な雰囲気があり、コロナウィルスのことをしばし忘れることができた。