認知的不協和について

心理学に「認知的不協和理論」がある。それは、「人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている」(ウィキペディア)。

この理論を持ち出すまでもなく、私たちは認知の矛盾を解消することを、無意識的にやっている。たとえば、私は、A(村上春樹)という作家が好きだとする。私は、Bという人に友情を感じているとする。ところが最近、BがAのことを悪く書いているのを知った。私→+A,私→+B、B→―A(+は好き、-は嫌い)という関係にあり、私からみて、私とAとBの3者の関係は、矛盾(不協和)になる。(その関係の符号の積がマイナスになると不協和)

そこで、私がこの矛盾(不協和)を解消すべき取る方法は,① Aを嫌いになる。② Bへの友情を解消する(薄める)のどちらかである。普通 ②の方法をとることになると思うが、少し残念なのは、BがAのことを悪く言うのに接した(B→―A)ということである。そのようなことがなければ、あるいはあっても知らなければ、Bへの友情は薄れることはない。つまり、そのようなことは知らない方がいい。さらに言えば、そのような事態を起こさないようにした方がいい。自分の好きなことは、自分だけに取っておき、親しいし人にそれを押し付けたり、その感想を聞いたりしないない方がいい。夫婦や親友といえども、自分の好きなこと(たとえば小説や映画やドラマ)は勧めない方がいい。そんなことをすると、認知的不協和が生じ、関係が壊れる危険性がある。でも、自分と感覚や価値観の近い人と結婚したり親友になったりするので、それとの矛盾・認知的不協和をどうすればいいのだろうか。人生は矛盾が多い

夏の終わり(その2)

この4連休は、高速道路が混雑しているという。この夏に旅行をできなかった人や、お盆に帰省できなかった人が、その埋め合わせをしようとしているのであろう。

千葉県の高速道路も首都圏ほどではないにしろ、かなりの混雑で、外房の九十九里海岸も、それなりの人が出ていた。ただ、例年の夏の賑わいはなく、夏の終わりの侘びしさと、秋の気配を感じた。

今 学歴社会は?

かって日本の教育の諸悪の根源は「学歴社会」にあると考えられた時代がある。それだけ、就職や昇進に学歴がものをいい、学歴競争も激しかったのであろう。今はどうなのであろうか。都市の高所得者層の子どもを中心に早期の「お受験」はあるにしても、高校受験、大学受験に関しては、かってほど競争は激烈ではないのではないか。高い学歴が人の将来を保証しなくなっている。

今回の新総裁選や新しい内閣の大臣選出の新聞報道を見ていても、その候補や閣僚の学歴に言及されることはなかったのではないかと思う。学歴の価値の低下が伺われる。ただ、9月17日の「朝日新聞」の朝刊で、新内閣の名簿を見ると、そこには出身大学が記載されていた。(ただ、そのことへの言及はない。読売新聞と日経新聞にも同様に、閣僚の学歴が掲載されていた。)

それで大臣の出身大学を見てみると、米国の大学4名(ハーバード大学院2、コロンビヤ大学院1、ジョージタウン大1)、東大4名、慶大3名、その他の私大8名(早稲田1、上智1、明治1、法政1、学習院1、中央1、玉川1、日本1)、千葉大1名、高卒1名 である。

大臣の日本の出身大学は東大は4名とそれほど多いわけではなく、いろいろな大学に散っている。アメリカの大学・大学院が4名と多いのが目立つ。それから、大臣の出身県はさまざまであろうが、出身大学が日本場合、全て首都圏(それもほとんど東京)というのは、偏りを感じる(地方国立大も地方の私学の出身者も皆無である)。政治の世界は特殊な世界で、大臣の出身大学から、日本の学歴主義の傾向を判断することはできないと思うが、何か今の社会の傾向を表しているようにも思える。

韓国ドラマ「彼女はキレイだった」を見始める

2015年の韓国ドラマ「彼女はキレイだった」をネットフリクスで見始めた。最初「なんか失礼な題だな」と思ったが、ストリーを知って納得した。女性が「キレイ」ということはどういうことなのかといろいろ考えさせられた。男はキレイな女性に惹かれるのは古今東西普遍的のようだが、それはなぜなのだろう。(女性がイケメンの男子に惹かれることもあるが、男のそれには及ばない)。

第1話のストリーは次のよう。<(ヒロイン)ヘジンは小学生のころ相思相愛だったソンジュンがアメリカから帰国するとのメールを受け、(親友)ハリに待ち合わせ場所まで送ってもらう。そこに現れたソンジュンは肥満児だった過去をみじんも感じさせないイケメンに成長しており、正反対の残念な女性に成長した自分を恥じたヘジンは、(超美人の)ハリに自分の代役を頼み…。>

最近大人気の韓国ドラマ「梨泰院クラス」の中卒で前科者で飲み屋の社長の男ぽいヒーローのパク・セロイを演じたパク・ソジュンが、このドラマではアメリカ帰りの育ちがよくかっこいいイケメンを演じていて、最初その育ちの品のよさから同一人物とは思えず、思わずネットで調べてしまった(パク・ソジュンが好きな女性ファンにはたまらないであろう)。

女性が綺麗であると男からちやほやされることが多いが、それに奢れることなく、懸命に生き、いい性格ややさしい心情を保持することは難しいのではないか。その点そうでない女性の方が、努力家でいい性格でやさしい心根の人が多い(、と私は思う)。ところが愚かなことに、男は美人の方に惹かれる。

「彼女はキレイだった」のヒロインは、そのことがわかっていて、幼馴染のイケメンに自分の正体を明かせず、超美人の友人に代わりになってもらう。そこに悲しみがないわけではないが、持ち前の元気さと笑いで吹き飛ばすのが、このドラマの魅力である。

<追記>もちろん女性が綺麗になるように努力することは、自分の顔や体を素材に美を追求することであり、画家がキャンバスを素材に美を追求するのと変わらないことで、非難されるべきことではない。また男が女性の綺麗さに惹かれるのは、美しい絵や美しいものに惹かれるのと同様で、自然なことであると思う。