発達段階と能力・知力の関係ついて

(これは発達心理学の分野のことだと思うが)人の年齢とものを理解する能力や知力との関係について、正しく認識されているのであろうか。それは天才肌の人のことではなくて、平均的な人の発達段階(年齢)に応じた能力や知力に関してである。学習指導要領を見ると、各教科の目標や内容が、小学校で言えば〔第1学年及び第2学年〕〔第3学年及び第4学年〕〔第5学年及び第6学年〕と3段階で区別され、発達段階に応じて具体的に書かれている。それはもっともらしく書かれているが、学習指導要領に書かれていることは、現実の子どもの能力や知力に対応したものであろうか。心理学者や教育学者さらには現場教師の意見を是非聞きたいものである。

そのようなことを感じたのは、今年のセンター入試の国語の問題を見てのことである。センター入試を今58万人受けているということは、同一年齢の半数以上が受ける試験で、基礎的な内容になっているはずである。先に書いた原民喜の文章も決して平易な内容ではなかったが、別問(第1問)で出された河野哲也『境界の現象学』からの「レジリエンス」に関する文章は、わかりやすい言葉で書かれているが、その内容は極めて高度で、今の人文科学や社会科学ひいては自然科学の最先端のことが論じられているように思う。高校3年生がこの内容を理解して大学に入学しているとするならば、今までの(少なくても私の)大学1年生の能力・知力に対する認識を改めなければならないと感じた。

「(レジリエンスとは、)環境の変化に対して動的に応じていく適応能力のことである」「脆弱性とは、変化や刺激に対する敏感さを意味しており、環境の不規則な変化や悪化にいち早く気づける」「レジリエンスは、均衡状態に到達するための性質ではなく、発達成長する動的過程を促進するための性質である」「レジリエンスは、環境の変化に対して自らを変化させて対応する柔軟性にきわめて近い性能」「(レジリエンスが活かせる環境を構築するためには)子どもの潜在性に着目して、職場や環境が変わっても続けられる仕事につながるような能力を開発すべきである」「(レジリエンスの立場から)ケアする者がなすべきは、さまざまに変化する環境に対応しながら自分のニーズを満たせる力を獲得してもらうように、本人を支援することである」

以上の指摘は、学会でも議論されていい内容であると感じた。これからの大学入試の改革の審議会のメンバーの一人が、「センター試験を変えなければならない大きな理由は、今の学生の学力が下がっていて、講義ノートも取れない学生が多くなったからだ」とテレビで話していたが、この認識と上記のセンター試験の問題を出した教員の認識の乖離は甚だしい。この認識の違いについて、いろいろな大学教員の意見を聞いてみたい。

原民喜のこと(その2)

今日(21日)の朝日新聞の『天声人語』は、センター試験に出た原民喜の文章について取り上げていた。

「受験生は眼光紙背に徹するように読み、作者の「言いたいこと」を熟慮せねばならない」「普段の読書とは段違いの集中力で臨むのが入試である。美しい文章、深みのある文章に出会った時の印象もそれだけ強くなる」「描かれたのは一人の青年だが、背後にある無数の青年の命について考えさせられる」という指摘に共感する。

入学試験の文章 :普段の読書とは段違いの集中力で臨むのが入試である。美しい文章、深みのある文章に出会った時の印象もそれだけ強くなる▼そんな経験はもちろん受験生でなくても味わえる。お手元におとといの朝刊があれば、センター試験の国語にある原民喜(たみき)の「翳(かげ)」をぜひお読みいただきたい。のんびりした日常が、日中戦争でじわじわと変わっていく様子がそこにある▼作者の家に出入りしていた魚屋の青年は人なつっこく、周りに愛されていた。そんな彼が軍服を着て満州に渡り死に至る病を得てしまう。「善良なだけに過重な仕事を押しつけられ」たのではないかと作者は思いを巡らせる。描かれたのは一人の青年だが、背後にある無数の青年の命について考えさせられる。(朝日新聞 2020年1月21日朝刊「天声人語」より1部転載)

高齢者が運動(スポーツ)をする意味

(他人事ではないが)高齢者は暇な時間を(つまり日常を)どのようにどのように過ごしているのであろうか。働いていた時は、仕事や職場のリズムがあってそれに従っていればよかったが、仕事がなくなってから、どのようにして時間を潰し、生活のリズムを刻んでいるのであろうか。

私の周囲を見てみると、卓球やテニスをするのがメインの日課という人(高齢者)も多い。私が入っている「宮野木卓球同好会」のメンバーで、週に4~5回卓球をやっているという高齢者はかなりいる。また私が時々参加している「テニスの打ち方教室」は毎週火曜日の11時から2時間、コーチ付きで開かれる。そこに毎週必ず参加している人もいる。

 高齢者がこのような運動(スポーツ)への参加する時の心情を考えてみると2つあるように思う。1つは、それは仕事のようなものであり、その運動に参加するのは仕事に行く慣習(ルーチン)のようなものである。別に特に楽しいということでも苦痛ということでもなく、自分のやるべき仕事をこなすという感じである。仕事を辞めた後の仕事の代わりといってよい。もう一つは、このような運動(スポーツ)に今日参加できたことを幸せと感じるものである。自分の体調が悪かったり、家族に何か問題が生じていたら、このようにのんびり運動(スポーツ)などしていられない。今日の会に参加できたのは、自分の健康や周囲の平穏な日々のお蔭であると、感謝する。(この2番目の心情は健康な人、あるいは若い人や働き盛りの人にはなかなかわからないであろう。)

原民喜のこと

(以前にこの欄にも書いたが)、私は学生時代は市川市立図書館で月2回開かれていた「鑿壁読書会」に所属し、さまざまな小説を読んだ。文学は専門ではないものも気の向くままにたくさんの小説や評論を読んできたつもりである。芥川賞が発表になればそれの掲載される文藝春秋は買い求め読むようにしている。しかし、毎月や季刊の文芸誌(文学界、群像、新潮など)を読むまではいっていない。

最近、知人が書いた小説が、『三田文學』(140,冬季号)に掲載されたというので、その掲載誌を送っていただき,読む機会があった(『三田文学』は慶応出身の錚々たる作家や評論家たちが執筆している伝統のある文芸誌で、そこに小説が載るというのはすごいことである。その知人の小説に関してはいずれ書きたい)。

そこには、「特集 江藤淳・加藤典洋―日本近代の行方」など、私の好きな評論家の特集などがあり、興味をもって読んだ。その中に、「原民喜未発表書簡」というものがあり、はてな(?)と感じた。原民喜とははじめて聞く名前で、未発表の書簡があることが話題になるほど有名な人なのかという疑問である。
それが、今日(1月19日)の新聞朝刊で、昨日のセンター試験の国語の問題に原民喜の文章が載っていて、原民喜は入試に出るほど有名な人で、無知なのは私の方であることを思い知った。文章は、亡くなった奥さんを追悼するような内容で、とても心を打たれるものである。さらに、戦争への哀悼や反戦的な気持ちもにじみ出ているものである。

ネットで、原民喜について検索して、次のようなこともわかった。原民喜は、明治38年(1905年)~昭和26年(1951年)に生きた作家(45歳で自殺)。慶応大学卒、広島で被爆し、三田文学の編集にも関わった。代表作は「夏の花」(昭和22年)。氏のその作品の内容は、岩崎文人によれば、「肉親の死、妻の死、被爆者の死と、死を凝視し続けた作家といってよいし、鎮魂の歌をうたいつづけた作家といってもよい。 戦後の原民喜は、妻貞恵を鎮魂する個人的な〈嘆き〉とヒロシマの死者たちを鎮魂する社会的〈嘆き〉というふたつの悲しみを生き、そして、孤独な生をみずから閉じたのである。」『原民喜戦後全小説上・下』〈講談社文芸文庫〉がある。https://www.library.city.hiroshima.jp/haratamiki/00top/top01.html

追記  国語の入試問題に詳しいI氏より、原民喜に関して、いくつか情報が寄せられた。去年の青学に竹原陽子の文章(「原民喜童話と『星の王子さま』」『原民喜童話集』収録)からの出題あったとのこと。 原民喜は詩人でもありキリスト教にも通じている人であるとのこと。中国新聞に寄稿された竹原陽子の「詩人・原民喜と聖書」は味わい深い文章である。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=33618。竹原陽子は、「原民喜の「翳」がセンター試験に出題されたということで、問題を解いてみました。時間を気にしながら集中して、新鮮な味わい。特に原民喜らしい言葉の箇所で作問されているように思われました」と述べている。https://twitter.com/takehara_yoco

卓球のチキータについて

 卓球の国内の試合をテレビで見ていたら、チキータという言葉が盛んに出てきた。打ち方の1つのようだが、私の参加している「宮野木卓球愛好会」でそのような言葉をあり聞かない。「宮野木卓球愛好会」で卓球の上手なNさんにチキータのことを尋ねたら、理論(原理)的なことから、打ち方まで親切に教えてくれた。理論的な説明では、卓球はどのような力学的なメカニズムで球が飛ぶかということまで説明してもらい、高校時代の物理の授業を思い出し興味深かかった。チキータは、上から落ちてくる球を下でラケットで受け止める下回転サーブやツッツキとは逆に、球を台の上でバウンドさせその上がり際をラケットで打つ手法とのこと。ラケットを台に平行にして、バックで肘を突き出しその反動で打つ手法だとのこと。タッ,タッという素早いリズムと、力まない柔軟な打ち方が必要とのこと。何回か練習させてもらったが、球がネットしたり、あらぬ方向に飛んで行ったりで、なかなかうまく打てない。いつかこの技法を会得したい。

 ネットでも、チキータに関して調べた見た。(下記がその一部)。(table-tennis-information.com/ping2/pong8.html)

卓球における台上技術チキータは現代卓球における王道テクニックかつ必須テクニックです。その打球の性質や打ち方、コツを理解して積極的に練習するようにしましょう。チキータというのは手首の反動を利用した横回転のバックフリックのことを指しています。シェークハンドの専売特許のような技で、十分に手首を曲げてバックハンドにより横回転をかけながら払うフリックです。相手の回転に影響されずらい打ち方なのでレシーブに重宝されます。この打法はチェコで最も有名な卓球選手ピーター・コルベルが生み出しました。チキータという名前は、横回転によりボールがバナナのような軌道を描いてカーブすることから、世界的に有名な「チキータバナナ」の名称をとり「チキータ」という名称になったそうです。チキータのメリットは、強烈なサイドスピンがかかっているので、相手が返球をミスする確率が高くなります。またバックよりに返ってくることが多いので次の攻撃にもつなげやすいです。チキータのコツは、肘を軸にして、ラケットの先が下に向くくらい思いっきり手首を曲げることですね。中途半端だとネットにひっかかります。手首の筋力が必要になるので日頃からの練習で鍛えておく必要があるでしょう。インパクトの瞬間はラケットの先端が時計回りに孤を描きながら左後ろを向いています。またチキータが上手い選手として中国の樊振東や張継科がいます。彼らは横回転系のチキータと逆横回転系の逆チキータによる非常に攻撃的なレシーブを得意としています。