教育課程論・第14回 (1月10日) 講義の記録


第14回は、講義メモのような内容で話をした。その日のリアクションは 1 前々回、前回のリアクションを読んでの感想、2 半年間の講義で印象に残っていること、3「東京都教職ハンドブック」で印象に残っていること、4 不登校などに関しての朝日新聞記事の感想 についての4項目に関して書いてもらった

それを読むと、受講生たちが、講義に関して自分なりに興味や関心を持って、聞いてくれたことが伺える。一部を掲載する。

敬愛大学 教育課程論 14回(1月10日) 講義メモ


1 今日は、これまでの授業のまとめを行います。 これまで皆さんが書いてくれたリアクションを全部返却します。評価を私の方のメモには付けましたが、皆さんに返却したものには、明確につけていません。この半年の講義内容を振り返ってください。教育課程の中核の部分を最初に講義して、その後はその周辺の部分を扱いました。最後の3回は、私の講義ではなくゲストスピーカーに来てもらっての授業でした。それぞれ教育課程に関連した内容でしたが、いろいろなテーマ(道徳教育、電子黒板、教員採用試験)を扱いましたので、少し拡散したという印象を持たれたかもしれません。

2 前回(13回)の4年生の話は、いかがでしたか。昨年度も同じようなことをしたのですが、昨年度に話してくれた4年生は、教職の科目を受講し教育実習を体験した4年生ですが、皆国際学科の学生でした。しかも教採に受かった人はひとりだけで、途中教員志望を変更したり、教員採用試験に失敗したという話が多く、その志望変更や挫折体験の話が大変受けていました。それでも教職科目の受講や教育実習は為になったという話がたくさんあり、受講した1年生に感銘を与えました。今回の4年生の話は教採に受かった成功体験だけだったので、そこを聞けなかったのが少し残念でした。皆さんのコメントを読むと、今回も4年生の話は皆大変参考になったということが多く書かれていました。私もそのように感じました。その中でも3番目に話しくれた斉藤里奈さんの話で印象に残ったことがあります。それは、教員採用試験向けの勉強は必要ない、大学の授業だけをきちんと受ければ大丈夫という話です。別の言い方では、教員採用試験に合格するのが目標ではなく、いい教師になるのが目標だという話です。そのことは、私も常々思っていて授業のなかでも言ってきたことです。たとえば学習指導要領の内容を学ぶことは大事ですが、それが絶対正しいものというのではなく、それも批判的に見ていかなくてはならないということです。

3 今回お配りしたブリントに今回の教育課程論の各回のテーマとそのポイントのようなことを書きました。皆さん自身のリアクションも見ながら、この半年の授業内容を振り返って下さい。印象に残っていることを今日のリアクションに1~2書いてください。深い学びは、自分の関心との結びつきが大事(アウトサイドイン、インサイドアウト)だと説明しまたので、自分の中で、考えたことを書いてください。

4 『東京度教職課程ハンドブック(平成31年度)』をお配りします。51ページ渡るよくできたパンフレットなので、授業のまとめにもなりますので読んでください。私の印象に残ったフレーズを書き出します。皆さんも印象に残ったことを記録に残して下さい。 「学校でのボランティアがきっかけで子どもと関わることの面白さに気付き、教員を目指しました」(2頁)、「ブラックと言われることがありますが、福利厚生等の制度面がしっかりしている」(4頁)、「小学校の1日、1年間」(6~9頁)、「教員になりたいと思っている人に学んでほしいこと ①教育に対する使命感と豊かな人間性、⓶教員としの必要な教養、③コミ二ケーション能力と対人関係力,④学校教育に関する法令等と学校教育の役割、④服務の厳正、⑤体罰の根絶」(22-24頁) 「授業力を高めるー①学習指導要領を理解する、⓶授業力の向上と授業改善、PDCAサイクル、③情報教育の推進、④英語教育の充実」(25-29)、「全ての児童・生徒の学び(保障)-①学力向上、⓶日本語指導が必要な児童・生徒の指導、③世界で活躍できる人材の育成」(30-31)。「社会的自立教育―①人権教育の充実、⓶道徳教育の充実、③キャリア教育の充実、④防災教育の充実,⑤体力向上」(32-34頁) 「悩みを抱える児童・生徒へのサポートの充実―①いじめ対策、⓶自殺予防、③不登校対策、④特別支援教育」(36-38頁)、「クラス担任―①学級経営、⓶集団の把握と生活指導,③児童理解と教育相談、④保護者・地域との連携」(40-43頁)「大学生活を通して身につけたい資質・能力―学生生活、学校ボランティア、社会体験―コミ二ケーション能力、統率力、組織貢献力、課題解決力、・文化・生き物・自然に触れる」(44-46頁) 「これから東京都の採用試験を目指す皆さんへ」(小学校・受験倍率1.8倍(平成31年度)、中学・高校4.5倍)(初任給:247、500円)(47-51頁)

5 私の前期の授業(教育原論)では、現代の学校の特質について、不登校やホームスクーリングの側面から考察しました。それが現代も重要な教育問題になっていることを、1月8日の朝日新聞朝刊の「カナリアの歌7」を読んで感じました。その一部をコピーしましたので、現代の学校の特質と不登校の問題も少し考えてください。新聞では「主体的・対話的で深い学び」との関連で不登校問題を扱っています。

6 次回の授業(1月24日)では、何でも持ち込み可(スマホも電子辞書も可)の試験を行いますが、試験というのは評価ということもありますが、それ以上に皆さんが試験をきっかけに半年の講義内容を振り返っていただきたいということと、皆さんが自分の学びの達成度を自覚して、それを次の学びに繋げていただきたいということです。最近試験に関しては、次のような文章を書きました(一部抜粋) 

<入学試験だけでなく、学校や大学におけるに通常の試験についても再考を迫られている。「裸の学力」を計るこれまでの試験のあり方に疑義が生まれている。私たちは日常生活でさまざまな道具を使い、いろいろな人に相談してものごとを判断している。それに対して試験では道具を使うことも本やインタ―ネットで調べることも禁止され、暗記を頼りに鉛筆一本で解答しなければならない。それはあたかも魚の能力を自然状態ではなくまな板の上で調べるようなものであると言われている。最近のテレビのクイズ番組では出演者が暗記能力ではなくスマートホンを使って検索し答えるものがある(「クイズハッカー」)。一般入試より推薦入試やAO入試の方が生徒の能力を自然に近い状態で測定できる側面もある。さらに外部の基準で計られた学力ではなく、子ども自らがどこまで学んだかが自覚できて、さらなる学びを動機付けられる試験(評価)が、今の時代に求められている>。

2019年度後期 敬愛大学 教育課程論の記録(テーマのみ)

第1回(9月13日) 教育課程とは  第2回(9月27日)学習指導要領の変遷(戦後10年ごと) 第3回(10月4日)新学習指導要領のポイント 第4回(10月11日)主体的・対話的で深い学び 第5回(10月25日)主体的・対話的で深い学び(その2) 第6回(11月1日)学校と地域社会  第7回(11月8日)主体的・対話的で深い学び(その3) 第8回₍11月15日)社会階層、社会的格差と教育 第9回₍11月22日)道徳教育の基礎知識 第10回(11月29日)特別の教科「道徳」の授業展開と指導法の工夫 第11回(12月6日)電子黒板の実演 第12回(12月13日)多文化教育、差別と教育 第13回(12月20日)教員採用試験合格体験談 第14回(1月10日)まとめ 第15回(1月24日)試験  

自虐的な発言に対するリアクションについて

自己卑下というか自虐的というか、自分を低く言うのは、関西の漫才の文化と思っていた。漫才は、最底辺の位置に自分を置いて聴衆の優越感をくすぐるものという解釈を、どこかで読んだ記憶がある。(多田道太郎か加藤秀俊の文章)。ボケ(自虐)に対するツッコミは、それに対する優れたリアクションであり、関西では日常化しているという。

東大出版会の情報誌『UP]に載った文章に中に次のような箇所があり感心した。 「自身についてネガティブなことを言ってしまう人のほとんどは、内心『否定してもらいたい』と考えているはずだ」「自虐的な発言の裏には、結構いろいろな意図が隠されている」「『理想の高さ自慢』さらには『客観性を失わないワタシ自慢』、(そして)『目の付けどころがシャープ自慢』が含まれていたりする」。

自虐的発言に対する人のリアクションは、大変難しいという。それを義務的に否定することも、正面からガチ否定することも失礼にあたり、技術的なこと以上に、普段からの心のもち方に根差したリアクションが要求されるという。(川添愛「たったひとつの冴えたAnswer」(UP, NO567,2020.1)

年賀状について

年賀状に関しては、「高齢になり、来年以降もう失礼します」というお知らせをいただく場合もあり、私自身もそのようにしたいという気持ちがないではない。いろいろお世話になったり親交があったりした人でも、その後は会う機会もなく、年に一度の儀礼的な挨拶(年賀状)が続いてしまう場合も少なくない。年賀状をいただいても、心を鬼にして(?)、返事を書かなければ、そのまま年賀状の行き来が消滅するので、相手も「ほっと」するのではないかと思うこともある。私の場合はうっかり出し忘れたりするので、現実にはそのようなことは起こっているが、意図的にするのにはまだ抵抗がある。

そこで今取っている方法は、なるべく私の方からは年賀状を出さず、年賀状が来たら出すという方法である。これも相手に失礼に当たることは重々承知だが(特に目上の人に対して)、いただいた年賀状に返事を書かないよりはいいように思う。

ひところメールの年賀状が流行った時があったと思う。今はフェイスブックなどで年賀状のやり取りをしているのであろうか(私はやっていないのでわからない)。今回はメールでの年賀状は海外からいただいた1通だけである。もう少しメールの方に移行すれが、手間が省けていいのにと思う。それでも、懐かしい人からの紙の年賀状はうれしくありがたく捨てがたい。

追記 今年は何通かははがきではなくメールで年賀状のお礼(返事)を書いた。その方が近況や相手へのメッセージを詳しく書くことが出来た。おかげで何通かは再度返事をいただくことができ、お互いの近況がわかった。