中東の問題についてのテレビ番組

敬愛大学国際学部には中東が専門の水口章教授がいる。著書も多く、中東の政治の話をよく新聞に書かれているが、今日はテレビでもお話しされるよう。中東政策は、今のトランプ政権のもとで、さらに混迷を深めている。いろいろ学んでいきたい。
<トランプ政権が発足して1カ月が経過し、各種メディアでもその評価が取り上げられています。本日20時59分からのBS11「報道ライブ」で、微力ですが私も中東政策について、渡辺恒雄氏(アメリカ政治・社会の専門家)と一緒に話をします。今後の国際社会を考える一助になれば幸いです。国際学部 水口章>

<トランプ大統領の議会演説を踏まえ、中東政策について3月2日にBSジャパンの「日経プラス10」にて話をさせていただきます。何かのご参考になれば幸いです。国際学部 水口章>

 

研究者冥利に尽きる

長年研究し、出版した著作が世に認められるというのは、研究者冥利に尽きることであろう。日本の教育社会学研究の理論派の第1人者のである山本雄二氏(関西大学教授)が、長年研究してきたテーマの本を出版し、今日の朝日新聞の書評欄に大きく取り上げられた。

女子のブルマーがテーマということで、なかなか出版してくれるところな見つからないと、山本氏は困惑していたが、青弓社というアカデミックな内容の本を多く出版しているところからの出版で、朝日の書評でも高く評価されたということは、友人の一人としてとてもうれしい。

山本氏の論文は昔から学会誌(教育社会学研究)で読んでいたが、長い間面識はなく、今から22年くらい前、UWのM.アップル先生の授業で出会い、UWでは、当時院生でアップル門下の野崎・井口夫妻らと一緒に、一緒に授業に出、様々な議論をし、毎週のようにテニスをした。山本氏の訳した『抵抗の快楽』(J.フィスク著、世界思想社)も名著・名訳で、その本からカルチュラル・スタディーズを学び、マドンナ現象の文化的意味も知った。

以下 朝日新聞朝刊(2月20日)より転載

(書評)『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』 山本雄二〈著〉

青弓社 2160円)

■女子の感情無視した妙な「共犯」

筆者の世代で女子の体操着といえば体にぴったりフィットするブルマーが定番だった。だがその話は今の女子には通じない。1960年代に登場、一気に日本全国を席巻した密着型ブルマーは90年代には消えてしまったからだ。

その興亡の軌跡に迫る本書はまず「お金の事情」に注目する。中学校体育連盟は用品メーカーからの寄付が頼りだった。寄付の見返りに連盟推薦のお墨付きを得たメーカーは新開発した密着型ブルマーの学校への普及に努めた。加えて当時は東京五輪での女子体操選手の活躍により、美しく健康な女性の身体は積極的に肯定されるべきだとする価値観が成立しつつあった。それは家父長制からの女性の自立、一個の人格として女性が自信を持つことを求める戦後民主主義的な価値観とも響き合い、密着型ブルマーの受け入れを進めた。

しかし、実はそこで女生徒たちは〈挟み撃ち〉に遭っていたのだ。自立した女性は家制度のヴェールに覆われず性的まなざしに直接さらされる。密着型ブルマー姿も例外ではなく、見られる恥ずかしさを訴える生徒も少なくなかった。だが進歩派だけでなく、保守的な教育者も日本女性らしさの復権には恥を知ることが必要とする奇妙な論理で密着型ブルマーを支持、彼女らの感情を無視し続けた。

この二重の疎外状況が崩れるのは90年代で、密着型ブルマーが性的嗜好(しこう)の対象になっていたことを改めて示す大量盗難事件等が発生。その使用を強制する姿勢はようやく緩み始め、体操着の主役の座をトレパンやジャージーに引き渡す。

密着型ブルマーは「戦後民主主義派」と「戦前回帰派」がいずれも己の思想信条を優先させ、性的なリアリティーや女子の実感に寄りそってこなかった歴史の象徴であった。体操着の下に隠されていた〈民主〉と〈愛国〉のもつれた共犯の構図。それを描き出す著者の冴(さ)えた分析に多くの読者が触れて欲しいと思う。 評・武田徹(評論家・ジャーナリスト)

教育社会学のマクロな見方

教育社会学は、教育と社会との関係を扱う分野だが、人の社会化に焦点を置くか、教育の社会的機能に焦点を置くかで、そのアプローチも違ってくる。私自身は、人の社会化に関心があり、教育の社会的機能というマクロな見方にあまり関心がもてなかった。
私が学部・大学院時代に学んだ東大の教育社会学の研究室の雰囲気は「経済発展と教育」や「社会開発と教育」というテーマで教育の社会的機能をマクロに考察するもので、個人の社会化などミクロなことは、他の分野(心理学等)に任せておけばいいことで、教育社会学の使命はもっと別のところにある、教育の制度をどのようにし、教育はどのような社会的機能を果たすべきかを考えるべき、と考えられていたように思う。別の言い方をすれば「研究は自分のアイデンティティ探しの為に行うのではなく、社会的に有用なことを行うもの」ということである。

今回、小林雅之氏の給付型奨学金に関する意見(日経新聞2月23日)を読んで、当時の東大の教育社会学研究室のマクロな研究の伝統がしっかり東大の研究者に受け継がれていることを感じた(下記、添付参照)

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我が家の雛飾り

各家々では、子ども(娘)が大きくなった時、雛人形はどうしているのだろうか。捨てることはないにしても、家のどこかにしまわれぱなしの場合も多いであろう。
我が家では、(昨年も書いたが)、とにかく1年に1度くらいはお雛様に陽の目を見さして上げようと、箱から出し、置ける場所を探して、飾ることをしている。小さな男の子にとっては、お雛様は見てもそんなにうれしがるものではないが、物珍しさに一瞬は見つめることはしてくれる。それでよしとしよう。

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老年学

新しい環境に置かれたり、新しい境遇になったりしたとき、そこで生き抜く方策を指南してくれる本を読むことは有効であろう。定年で職を退き、定年後老後を生きるということは、具体的にいろいろなことがあるのであろう。また現役で働く人にはわからない悲哀があることであろう。

地元の「卓球愛好会」でご一緒しているMさん(84歳)が、老年学の文献を紹介してくれた。私にとってはこれから必要な文献である。 

老年学に関する文献 紹介

水野 肇「40歳からの新老年学 1992-1 版

水野 肇「夫と妻のための死生学」 1984年版

水野 肇「夫と妻のための老後設計」1980版

「新老年学」   東大出版会 1992-8

佐藤真一「後半生のこころの事典」2015年版

古谷野 亘、安藤孝敏編著「改訂・新社会老年学」2013年11月版

 

Mさんの解説—-水野氏の本3冊は大変読みやすい書物であった。しかし35年前のものでデータが古いのが残念でした。東大出版の新老年学も25年前で古いものであったが1300ページの大作であった。「後半生のこころの事典」を書いた佐藤真一氏は阪大の老年行動学専門の教授(医学)で最近のデータを使い大変面白かった。大塚邦明氏の「健やかに老いるための時間老年学」はいささかわかりにくいものであった。古谷野、安藤氏の「改訂・新社会老年学」は新しいデータを豊富に使用し大変面白かった。しかし大学生の教科書に使用しているかのような硬すぎる表現で読みやすいものではなかった。しかし内容は大変濃いものであった。 

私の感想—紹介されている本には、下記のような老人の直面する具体的なことが書かれているようで、決して楽しいものではないが、避けては通れないものであろう。大変な覚悟ないし、自然体で対処する心構えが必要である。

<定年退職 継続雇用、再就職 地域活動への参加.   親の死、配偶者または自分の大病、老化の進行、 仕事からの引退、心身の質的変化、地域活動からの引退、孫への援助、自分または配偶者が要介護認定される、認知症になる、 施設に入居する、子供と同居する 、友人、知人の死配偶者の死 歩けなくなる、 金銭管理を他者に委ねる、寝たり起きたりの毎日になる>