敬愛大学の授業風景

先日(12月11日)の、敬愛大学での小原孝久先生の授業風景を、敬愛大学こども学科のHPに、掲載させていただきました。

http://www.u-keiai.ac.jp/

http://www.u-keiai.ac.jp/international/20100720162948/20130401141505/20131226101546/index.html

フォトジャーナリストについて

放送大学・特別番組「フォトジャーナリストとは何か」(12月22日)もいい番組だった。
これは、フォトジャーナリストの広河隆一氏へのインタビュー番組であったが、フォトジャーナリストについてはじめて知ることができた。フォトジャーナリストは、いい報道写真を撮るだけでなく、その写真で何を訴えたいのかが大事、ということを言っていたように思う。
氏は、チェルノブイリには20回近く行っていて、東北の3.11の地震があたっ時、すぐその日のうちに車で福島に向かったという。福島原発の近くの村(町)で、持っていった放射線探知機で放射線量をはかると、数字が振りきれてしまい、驚愕したという。その時、政府は安全宣言を出し、帰宅を住民に許可していたので、多くの人が、危険なことを知らず、家に帰ろうとしていたという。氏は、車を道路に停め、住民に危険を知らせることに奔走し、報道写真を撮るどころでなかったという。報道写真を撮ることより、人々に危険を知らせることを優先する氏の姿勢に、フォトジャーナリストのあり方を見た気がした。

これは、科学者や、我々教育の研究者にも、つきつけられた問いのよう気もした。研究者は、教育現場の当事者であるよりは、現場に影響を与えず客観性を優先することが多い。そのような姿勢の意味が問われていると言ってよい。 科学者、研究者は、客観性という名のもとに、何を守ろうとしているのであろうか。。

広河隆一氏のプロフィールは下記((http://info.linkclub.or.jp/nl/2008_04/pdf/P07-10.pdf)
 早稲田大学教育学部卒業後、イスラエルに渡り3年間生活する。70年に帰国以来、フォトジャーナリストとして中東各地を取材する。レバノン戦争とパレスチナ難民キャンプの虐殺事件の記録で82年によみうり写真大賞を受賞する。チェルノブイリ原発事故や薬害エイズなどの取材でも知られ、89年チェルノブイリとスリーマイル島の原発事故の報告で講談社出版文化賞を受賞。著書に『ユダヤ国家とアラブゲリラ』『パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で』(共に草思社)、『日本のエイズ』(徳間書店)、『チェルノブイリの真実』(講談社)、『人間の戦場』(新潮社)など多数。フォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』の編集

「釜石の奇跡」から学ぶ

昨日(22日)は放送大学のいい番組を見た。それは特別講義「自然災害では死なせない ~ある災害社会工学者の格闘~」である。10月6日(日)の再放送のようであったが、防災教育のことや今の教育の問題をいろいろ考えさせられた。

【番組内容】は、次のようなものである[番組紹介から転載]
< 東日本大震災の際、注目された「釜石の奇跡」。地元の中学生らが大津波から逃れ、自主的に避難した行動が高く評価された。中学生がそのように行動できた背景には、群馬大学大学院の片田敏孝教授が8年間にわたり地元で行ってきた防災教育がある。近年、国内では南海トラフを震源域とする地震が懸念されているほか、台風による被害や竜巻被害、集中豪雨などの自然災害も相次いでいる。自治体からの防災情報の出し方や住民の避難の仕方などを専門に研究する同教授は現在、全国各地で1年間に250回を超える講演を実施。それぞれの地域の実情に即した防災を提言し、自治体などの対策に協力を惜しまない。 「自然災害では死なせない」が同教授の信念。>

片田教授が子ども達に説く3つの提言は説得力がある。
① 「想定にとらわれるな」―相手は自然。何が起きてもおかしくありません。ハザードマップで浸水しないと示されているからといって安全だと思いこむことは大きな落とし穴です。
②「ベストを尽くせ、最善を尽くせ」―自然は何を引き起こすかわからないからこそ、自身が置かれた状況下で常に最善を尽く。
③ 「率先避難者になれ」―だれか1人でも率先して避難しようとすると、多くの人々もそれにつられるように行動を始めるというのが人間の心理。自分の命を率先して守ることで、実は周りの多くの命を守ることにつながる。

東日本大震災の際、岩手県釜石市の小中学生ほぼ全員約3千人が防災教育の成果を生かし、津波から避難できたのは、この片田教授の長年の指導のおかげで、「釜石の奇跡」と言われる。(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130312/wlf13031202000000-n1.htm)
 片田教授は、著書に「人が死なない防災」(集英社新書)があり、防災教育を進める際に、災害が起こると怖いというような「脅しの防災教育」ではなく、津波が来たら何が起きるか現実は直視すべきで、それは具体的にどう行動するかを考えること、と述べている。たとえば「釜石という町に住むこととはどういうことか」という話から始め、海の幸豊かで、風光明媚な、このすばらしい釜石に住むためには、時には大津波を避けることも必要だと言っている。

この片田教授の論で興味深いと思ったのは、行政や学校からの上から防災教育ということではなく、児童・生徒そして住民も、行政や学校と同じ水準で防災(教育)に関わるつまり責任があるというスタンスである。児童・生徒そして住民も自分の判断で主体的に防災行動に向かうという姿勢である。行政は緻密なハザードマップを作り、学校は考え抜いた防災対策をする必要があるが、子どもたちはそれに頼ることなく自分の判断で行動する主体性を持つことが求められる。
これは、防災教育だけではなく、教育のすべてのことに言えると思った。上の組織や人間は優れた制度や基準を作る責任があるが、下の人間も自分で主体的にかかわる責任がある。何か惨事や失敗が起こった時、その責任は両方にあると考えられるべきであろう。
これは高等教育に関しても言えて、大学改革の成否の責任の一端は、行政や大学や教職員だけでなく学生にもあるといえよう。

「風たちぬ」の解釈

昔から自分の芸術に対する(映画に対してもそう、それ以外もあるかもしれない)感受性の鈍さに、自分でも恥ずかしくなる時がある(それを自覚しているだけいいではないかと、自分で慰めているが)。

宮崎駿の「風たちぬ」も、「いい映画だったな、感動したな」というくらいの感想であったが、岡田斗司夫『「風たちぬ」を語る』を読むと、こんな読みがあったのと、驚かされる。(ネットから一部転載)http://blog.freeex.jp/archives/51393680.html

<この映画は、凡百の恋愛物語ではなく、歪んだ恋愛物語であり、貧困と差別のある世界であって、美しくも残酷な物語なのだ>。
<この映画は「ひとでなしの恋」の話なんですね。 主人公の堀越二郎、二郎君はですね、何度も何度も妹から「兄は薄情者です。」って言われる。つまり人間の感情を持ってないんですね。そのくせ女性に対する自意識だけはすごい強いんです。堀越二郎君はこの映画の中で、どんなシチュエーションの中にあっても、画面内、もしくは自分の視界の中に可愛いきれいな女の子が出てきたら、必ずチラッと見て、会釈するんですね。すごくコンプレックスがあって、女の子によく見られたいという自意識は人並み以上にあるんだけど、それが出せない人間なんです。その男の子の恋愛の話なんですよ。
あの映画の中の試験飛行のシーンは、必ず墜落するんです。あの銀色の飛行機だけ墜落しないんです。 それは何かって言うと、どの飛行機の最後にちょっと負荷をかけて、ギュッと旋回したり、速度を上げたりしたらバラバラになるんですけども、そうなろうとした瞬間に、二郎が山の方を見て風が吹くんですね。その瞬間に菜穂子は死んでる訳ですね。本当にギリギリまで二郎に綺麗な姿を見せたから、その分菜穂子は寿命が縮んじゃって、多分一人ぼっちで山の中で死んだんだと思います。自分の命を与えたっていうメタファーですね。菜穂子が自分の命を与えたから。だから、飛行機はちゃんと最後まで飛べたんですね。 そうやって、菜穂子が命を与えられたからこそ、二郎の飛行機は完成して、その結果、零戦、零式艦上戦闘機が生まれる。零式艦上戦闘機が生まれたからこそ、日本人は坂の上の雲を夢見て、そして無謀な第二次世界大戦に入っていって、そして国家を沈没させる様な、地獄の底へ行ってしまう…。(以下、略)>
 
でも、この映画は「いい映画だったな」と思い出し、予告編をユーチュ―ブで見たりしている。ユーミンの歌もいい。
(http://www.youtube.com/watch?v=-Q6pStcvr4U)

12月の御宿海岸

12月の最初は晩秋なのか初冬なのかわからないが、気温が低く、風が吹くと寒さを感じる。ただ、空気が澄んで、空もきれいなことが多い。
この季節の海も同じように、風が強くとても寒い時と、穏やかできれいな海や波が見える時がある。
昨日(12月14日)の御宿海岸は後者で、久しぶりにきれいな波と海を見た。ソフィーも、大喜びで、砂浜を駆け巡っていた。