NHK[中学生日記」の国際エミー賞の受賞についての知らせ

上智の時代の教育社会学ゼミの教え子の林氏が、今、NHKの名古屋支局に勤務している。その林氏から、嬉しい知らせをいただいた。 そのまま掲載させていただく。

大変、ご無沙汰しています。上智大学でお世話になりましたNHKの林です。
お元気ですか?
先生にご報告がありご連絡しました。

一昨年、制作を担当した「中学生日記」が、
このたび「国際エミー賞」を受賞しました!
(授賞式に参加するため、ニューヨークに行ってきました)
受賞を記念し、番組が再放送になります。

3月2日(土)総合テレビ17:00~
中学生日記「僕と君のメロディ」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/nikki/index.html

東桜中2年C組に転校してきた豊田啓介(とよだ・けいすけ)には、知られたくない秘密がある。
吃音(きつおん)――うまく言葉が出てこなかったり、同じ言葉を繰り返してしまう症状があり、“話すこと”に自信が持てないのだ。
そんな啓介は、クラスメイトとも距離をとってしまう。
ある日、啓介はクラスメイトの大西あぐり(おおにし・あぐり)に秘密を知られてしまう。
啓介の魅力にひかれ、熱心に話しかけるあぐりだが、どんどん心を閉ざしていく啓介。
ひょんなことからふたりはピアノの連弾をすることになり…。
【出演】豊田啓介 大西あぐり 森田彩華 ほか
【脚本】さわだみきお
【音楽】BANANA
【演出】林弘毅

もしよろしければ、ご覧ください。
よろしくお願いします!

林弘毅 Hiroki Hayashi
NHK名古屋放送局 制作 
「ティーンズプロジェクト フレ☆フレ」ディレクター

(テレビを見た感想  武内)
さわやかな、よくできたドラマであった。
林さんが、上智の教育学科で学んだことが、ドラマを監督する時に、役立ったのかもしれないと思うと、うれしい。
林さんのNYでの受賞スピーチもテレビで見ることができた。)

敬愛大生の素顔

敬愛大学の学内共同研究で、同大学の学生調査(2011年実施)の結果を、冊子にまとめた。
その内容を、昨日(2月26日)の、敬愛大学FD研修会で報告した。その報告書の「はじめに」は下記。
定まった偏差値があり、またある固定したイメージのある一つの大学にも、多様な学生がいる、という印象を強くもった。それが、データに鮮やかに出ている。
教職員の方は、どう受けとめてくれたであろうか。

『敬愛大生の素顔―「敬愛大学学生調査」(2011年)の分析から、平成25年1月
はじめに
敬愛大学は、2学部(経済学部、国際学部)からなる大学である。設立は1966年(昭和41年)で、創立50周年も間近である。専任教員数52名、学生1493名の小規模な大学である。場所は、千葉県稲毛区にあり、JR総武線稲毛駅(快速で東京駅より35分)から徒歩で12分の、閑静な住宅地の中にある。
 本報告は、2011年度(平成23年度)に、敬愛大学の全学の学生を対象にして行われた「敬愛大学学生調査2011」(実施主体;敬愛大学FD委員会)のデータを、学内共同グループ(高橋和子、藤井照男、武内清、田中未央)が分析したものである。
  学内共同研究グループは、4名の専任教員(同上)と1名の事務職員(佐藤暁人)からなり、数回の研究会を積み重ね、調査データを読み解き、本報告に至っている。
    本報告書が分析した「敬愛大学学生調査2011」は、敬愛大学の全学生を対象にした悉皆調査であり、またその調査内容は、他大学のデータとも比較可能なもので、  貴重なデータが満載されている。
   とかく大学や学生に対する議論は、学生の実態を見ない理念的な論議に陥り勝ちである。しかし、現在IRの重要性が提起されているように、学生の実態に即した組織対応が迫られる時代になっている。
     本報告には、4人の教員のデータ分析(第1章~第5章)だけでなく、付属資料として、「調査票見本」(単純集計付き)、「クロス集計表」、及び「自由回答」掲載したので、ご参照いただければ幸いである。
   本報告が活用され、敬愛大学の今後の教育や学生支援に関して、さらには日本の大学教育に関して考え、議論する一助になれば、幸いである。

  敬愛大学学内共同研究グループ(武内清、高橋和子、藤井輝男、田中未央、佐藤暁人)

ハレ(非日常)とケ(日常)&別荘地、老後の生活

  民俗学に関する知識は皆無なので、いい加減な議論になるが、ハレとケの違いは日常的にいろいろなところで感じる。
時間的なことで言えば、休日(ハレ)と平日(ケ)の違いである。平日と休日は、やることも気分的にも全然違うというが多くの人の実感であろう。
ところが、職業によってこの区別のつきにくい人もいる。大学教員や作家などはその最たるものであろう。これらの職業の人は、休日も仕事を抱え、はっきりした休みがあるわけではない。本人は休日も仕事を自発的にやっているのでいいが、その配偶者はたまったものではない。「一緒に生活していて、一番ストレスが溜まるのは作家の奥さんだ」というようなことを江藤淳が書いていたような気がする(「アメリカと私」)。
空間的なことで言えば、生活する場の建物と別荘地のそれとの違いに、驚くことがある。
軽井沢の別荘地(特に旧軽)を散策して楽しいのは、そこの別荘地の建物が、普通に住んでいる地に建つ建物と違うからである。建物や庭へのお金のかけ方が、日常的に生活する場の家へのそれと全く違う気がする。別荘地のものは、贅沢と意匠を凝らしたものが多いからである。
ハレ(別荘)とケ(生活の場)では、金銭感覚が違ってはたらくのかもしれない。庶民の感覚からすれば、たまにしか行かない別荘地の家や庭に、贅沢の限りを尽くすのは割が合わない気がするが、その贅沢こそ、別荘族の誇りなのであろう。
 千葉の御宿にも高台の地に、昔、西武が売り出した別荘地があり、立派な家が数多く建っている。先日そこを散歩してみて、その建物のセンスの良さに感心した。広い敷地に贅沢な建物が多く建っている。きっと、バブルの頃に、建ったものであろう。瓦は茶系のものが多く、統一がとれていて、雰囲気的には、ハワイの郊外を思わせる。
ただ、そこを歩いてみて、時代の移り変わり、今の時代も感じた。まず、人の姿をあまり見ない。車庫に車がある家が5分の1程度はあるので、住んでいる人はいると思うが、人影は少ない。わずかに出会う人は、老人ばかり。その別荘地の端に立派な老人ホームがあり、体が動けなくなったら、そこに入る予備の家に皆住んでいるように感じた。
バブルの頃、平日に猛烈に働き、その稼ぎで、この地に贅沢を尽くした別荘を建て、退職してここに住まうようになったが、その時、夢見ていた引退後の生活がこのように寂しいものであったか、という寂寥感がその地を覆っていると感じた。
今、少子高齢化の時代で、地方(田舎)から若い人がいなくなり、老人ばかりの世帯になったと言われているが、別荘地にも同じような事態が生じているのではないのか。 
若者や子どものいない、老人だけの別荘地ほど、さびしいものはない。その点、軽井沢やハワイは、若者や子どもも押し寄せる数少ない、現代に生き残った別荘地のような気がする。
われわれの生活は、ハレの場や時間とケの場や時間が、両方あるのが好ましい。しかし、老後になると、そのような区別を持つことが難しい。歳をとってからの暮らし方は、難しいのである。

「第48回学生生活実態調査 概要報告」(全国大学生協)の紹介

全国大学生協の学生調査のここ20年間のデータを、何人かで分析を手伝い、報告書も刊行された。

その調査の最新版(2012年実施)をプレスリリースしたというお知らせを、大学生協の担当の方からいただいたので、紹介しておく(下記のアドレス)。
全国の多くの大学の学生を対象に実施されたもので、大変貴重なデータである。
今の学生の実態把握、学生支援、大学改革を考える資料になる。

http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html