鴨川シーワルドへ行く

今日(3月30日)は天気がよく、車で房総半島を南下し、鴨川シーワルドへ。行きは外房を通り2時間、帰りは半島の真ん中を北上し1時間半の道のり。
2歳と4歳の子ども(孫)が生まれてはじめての水族館で、どんな反応をするのかを見てみたかった。シャチやイルカのショウ、そしていろいろな魚を見て、それなりに驚き、楽しんでくれたと思う。最初に、水槽を泳ぐたくさんの魚を見て、びっくりした表情をしたのが、印象的だった、

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柔軟な思考が大事(敬愛大学「教職の里程」原稿)

私は学部・大学院そして大学(武蔵大学、上智大学)に就職してからも教育学(正確には教育社会学)を学び且つ教えてきたが、それらは教育研究を目指していて、教育実践とは距離を置いていた。敬愛大学に6年前に奉職するようになり、はじめて教員養成や教育現場というものを意識するようになった。
敬愛大学こども学科に入学してくる学生は、小学校の教員になることを目指して入学してくるものがほとんどである。大学のカリキュラムも教員採用試験や教育現場向けのものが多く、学生たちは、教育現場や実践に役立つ内容が教えられる。敬愛大学の卒業生は教育現場に出て、即戦力として教える力を備えている。それは敬愛大学のメリットだと思う。
ただ、それは『教育工場の子どもたち』(鎌田 慧、岩波書店、1984年)と揶揄されるような狭いものであってはならない。
教育実践に役立つ技術や方法を学び、実質的にそれを身に付けることはとても大事なことである。しかし社会や技術が大きく変化していく現代にあっては、それだけでは足りない。大学で学んだ知識や技術はすぐ古くなり、また現在の教育現場で通用している考え方や方法は将来もそのままとは限らず、その時代にあった新しいものが求められる。それは、各自が自分の力で開発していくものである。
そのような新しいものを作り出す力(汎用的能力や技術)を、大学時代に身に付けたいものである。それは、限定された分野で通用する実践や技術ではなく、広い柔軟な視野で考え、新しい状況に対応できるものである。その際、先輩や同僚との協働も必要であり、その能力(コミニケーション能力)も養いたい。
大学の教養科目や専門科目、ゼミなど一見教職に役立ちそうもない科目こそ、実はこのような新しい柔軟な思考を養うものであることが少なくない。それが、専門学校と違う大学の特質である。
教育現場や学校の教師の置かれた環境は、狭いということも自覚すべきであろう。子ども相手に、教師は奢ってはならない。「よき教師」がよき市民とは限らない。狭い教師枠組みから脱した柔軟な思考が教師には必要である。
敬愛の学生には「明朗」「子ども好き」「人間好き」「イベント好き」「高いパホーマー」のものが多い。これに、堅実な教育に関する知識や技術、さらに幅広い教養が備われば、次の時代を担う素晴らしい教師が誕生する。皆さんの学びと成長を期待する。

選択肢の数

選択肢が無数にある中から選ぶのと、選択肢が限られている中から選ぶのではどちらがいいのであろうか。
もちろん前者の選択肢の多い方から自分の好きなものを選ぶ方が、自由度が高くいいような気がするが、必ずしもそうではない。特に自分に選球眼がない場合、選べるものが無数にあるとどれにしたらいいのか途方にくれてしまう。

家で観る映画の選択に関しては、どうだろうか。家人や娘は、ネットフリックスで、無数の選択肢の中からみたい映画を観ている。私も薦められ、部屋にあるテレビでネットフリックやアマゾンのみたい放題の番組から選ぼうとするのだが、選択肢があまりに膨大で選べない。
昨日は、かなりの時間テレビの前にいたが、観た映画は、「NHKBSプレミアム」でやっていた「がんばれベアーズ」と「マラビータ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF)という映画。どちらも、映画としてとてもよく出来ていて、名作と言われるものに入るものであろう。NHKBSが選んでくれたので私はこれを観れた。選球眼のない人には、導き手が必要である。

ただ、これが教育となるとどうであろう。導き手(教科書や教師)によって、子どもが狭い範囲へ見方が閉じ込められたり、洗脳されては困る。そうかと言って、無数の選択肢を子どもの前に示しても、子どもは途方にくれるだけあろう。なかなか難しい。

春近く 春の花

昨日まで冬のような寒さで、今日(27日)になってやっと春の暖かさを感じられるようになった。
それを確認しようと、稲毛海浜公園へ。
公園と花の美術館では、ポピー、チュウリップなど春の花が満載。桜ももうすぐ咲きそう。

ソフィー(犬)は久しぶりの公園にうれしそう。ソフィーは1か月前に、虫の息の時があり、1週間ほど入院し、検査、手術を受け、何とか一命を取りとめた。今日はそれからはじめての外出で、これだけ元気ならば大丈夫そう。

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池澤夏樹著「アトミック・ボックス」(角川文庫)の感想 by 水沼文平

見田宗介氏の「社会とは、一人一人の人間たちが野望とか絶望とか愛とか怒りとか孤独とかを持って1回限りの生を生きている、その関係の絡まり合い、ひしめき合いであるはずです。切れば血の出る社会学、〈人生の社会学〉を作りたいと願っていた」という言葉が読み終えたばかりの池澤夏樹著「アトミック・ボックス」(角川文庫)と響き合い、また武内先生の「読書・・・を読む」にも刺激され、下記のような読書感想文を書いてみました。(水沼文平)

池澤夏樹は1945年生まれ、小説の主人公宮本耕三も同年の生まれである。広島・長崎への原爆投下で太平洋戦争は終結、GHQの支配下、朝鮮戦争の特需を機に日本は経済復興を遂げていく。
この本のテーマは、戦後日本で秘密裏に行われた原子爆弾の開発とアメリカの干渉による中止、能力を買われこの開発に参加した耕三の心と意識、生き方の変遷にあると思う。彼は、日本での原子爆弾研究がひとりのメンバーによって北朝鮮に持ち出されこと、また自らが広島で体内被曝をしたとう事実を知る。原子爆弾の開発に関わったことの過ちを後悔し、復帰した会社も辞め、瀬戸内の故郷の島に戻り漁師として生きる道を選ぶ。世界的にはスリーマイル島、チェルノブイリ、福島第一と人間の力では後始末のできない原発事故が続く。原爆の後遺症か耕三はガンで死亡、耕三から原子爆弾開発の国家機密資料を託された娘美汐はその資料を公開すべく警察網をかいくぐるサスペンスが展開される。
私はそのプロセスと結末よりも、宮本耕三と原子力の神話を聞かされて育った我々同世代の人間がこの小説の紛れもない主人公であると強く思った。
なお池澤夏樹の近著「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」も合わせ読むと作家の意図がさらに鮮明になると思う。
蛇足ながら池澤夏樹は作家・フランス文学者である福永武彦の遺児である。