作家の知りあい

知り合いの方から、三田文学に載った3作目の作品(小説)を、送っていただいた。
   小林かをる 「ベジタブル・シューズ」 『三田文学』109、2012、春季号
『三田文学』といえば、確か、江藤淳が「夏目漱石論」で、論壇デビューした由緒ある雑誌。小林さんは、第5回三田文学新人賞佳作を受賞している。
私は知り合いに、作家や小説を書く人は、この小林かをるさん(ペンネーム)以外にいないので、少し緊張して読む。

最後の方の、一節を引用させていただく。とても現代的なテーマを扱った小説で、胸にズシンとくる。

そのうちに「これはベジタブルシューズなの。私ベジタリアンだから、これは私の主義なのよ」と誰かに告げる日がきっと来る。「お金がないから革靴は買えないの」と素直に言えなくなって「ベジタリブルシューズ」なんておかしな言葉を真剣に言わなくては生きる拠り所を失う日がすぐそこに来る。(118ページ)

素敵なブログ紹介

軽井沢在住の知人から、奥様の書かれているブログを紹介していただいた。軽井沢の自然、木々、鳥、動物に関して、とても素敵な文章が綴られている。それに、いい写真も添えられている。

 http://www.sophiart.co.jp/messay2012000.htm

 第3話から一部、転載しておきたい。
第3話 「木の香り」 2012年4月12日
2003年の春、いまから9年前のちょうどこの時期、パートナーと私は、ふと思い立って、生まれて初めて軽井沢を訪れました。もちろんこの地が避暑地として有名であることは知ってはいましたが、特に軽井沢という土地に魅力を感じることもなく、縁遠い存在として訪れる機会もありませんでした。事前の下調べもほとんどせずに、ふらっと訪れ、こじんまりしたペンションに宿泊しました。人影もまばらで、足元も春のぬかるみで歩きにくく、まだ草木も芽生えぬ時期ですが、凛とした冷たい空気が気持良く、静かで素朴な土地に不思議な魅力を感じました。たまたま、軽井沢の離山(はなれやま)通りの裏にある静かな別荘地の木立を散歩していたとき、どこからともなくとてもいい香りがしました。
ハッカのようにすっきりとさわやかでいながら、すこし甘酸っぱいような香りです。あたりには針葉樹の茶色くなった葉がたくさん積もり、頭上には大きなモミの木や、さまざまな落葉樹の枝が広がっています。
たくさんの小鳥の楽しそうな声が、そこかしこから聞こえてきます。まだ誰もいない別荘の庭の地面を柔らかそうなスギゴケが覆い、明るい陽だまりとなって輝いています。遠くの家のストーブの煙突からは、薪を焚く香ばしい煙がゆらゆらと上っているのが見えます。
この不思議な香りは、一体どこから来るのでしょう・・・。
いい香りの記憶は、静かな木立やにぎやかな小鳥たちの声、明るい日差しと渾然一体となって「気持ちよい」という感覚とともに奥深く沈んでいきました。
その香りの記憶に導かれたのか、縁あって私どもは離山通りの近くに住むこととなりました。そしてのちに、ソフィアート・ガーデンを作っていく際にも「香り」というキーワードは私にとってとても大切なものになりました。
四季折々に、その季節だけに許された自然の放つ良い香りを、存分に味わいたい。木だけではなく、もちろん草花も土も含めて、自然界の香りの豊かさを思うと、嬉しくなります。

御宿海岸

久しぶりにきれいな海を見たくなり、外房の御宿海岸に行った。御宿海岸は、大きな湾になっていて、砂浜は長く砂もきれいで、東京湾や内房とは、波の透明度に関して大きな違いがある。
夏は海水浴場になり人は多いが、それ以外はサーファーと散歩する人がちらほら見えるだけである。湘南海岸のような賑わいはなく、シーズンオフのわびしさはあるが、海(波)とじっくり向かい合える。

御宿に関しては、以前に紹介したが、若い4人の人が、写真付きで、御宿周辺のことを書いていて、楽しんで読める。
http://www.himawari.com/blog/blog/13

考現学について

私がこれまで唯一古本屋に買い取ってもらった本は、『今和次郎集』全9巻(ドメス出版、1955年)である。あまりに嵩張り、本箱に置けなくなったせいである。今は少し後悔している。
今和次郎は考現学の創始者で、そして彼一代限りで終わってしまった。考現学は考古学との対比で考えられた名称で、現在あるものを観察で明らかにしようとするものである。対象はモノでも人間でも何でもよい。ただ、方法は観察に徹し、アンケートを取ったり、インタビューしたり、試薬を使ったりしない。今和次郎は東京美術学校図案科卒で、観察したものをデッサンに残しているが、その由来(原因―結果)などは探求しようとはしない。
考現学はその後、「生活学会」や「現代風俗研究会」や「路上観察学会」や「ファッションの定点観測」など受け継がれていく。
私はこのブログを少し書くようなってから(そんなに永く続くとは思えないが)、歩いていても「何か絵になるもの」(=何か写真に撮れるもの)はないかと探すようなった。これって考現学(?)ではないのか。いや単なる路上観察かもしれない。
いずれにしろ、まだ書庫に残っている『考現学入門』(今和次郎、ちくま文庫、1987)を取り出し、少し読み返し、考えてみよう。