御宿海岸

久しぶりにきれいな海を見たくなり、外房の御宿海岸に行った。御宿海岸は、大きな湾になっていて、砂浜は長く砂もきれいで、東京湾や内房とは、波の透明度に関して大きな違いがある。
夏は海水浴場になり人は多いが、それ以外はサーファーと散歩する人がちらほら見えるだけである。湘南海岸のような賑わいはなく、シーズンオフのわびしさはあるが、海(波)とじっくり向かい合える。

御宿に関しては、以前に紹介したが、若い4人の人が、写真付きで、御宿周辺のことを書いていて、楽しんで読める。
http://www.himawari.com/blog/blog/13

考現学について

私がこれまで唯一古本屋に買い取ってもらった本は、『今和次郎集』全9巻(ドメス出版、1955年)である。あまりに嵩張り、本箱に置けなくなったせいである。今は少し後悔している。
今和次郎は考現学の創始者で、そして彼一代限りで終わってしまった。考現学は考古学との対比で考えられた名称で、現在あるものを観察で明らかにしようとするものである。対象はモノでも人間でも何でもよい。ただ、方法は観察に徹し、アンケートを取ったり、インタビューしたり、試薬を使ったりしない。今和次郎は東京美術学校図案科卒で、観察したものをデッサンに残しているが、その由来(原因―結果)などは探求しようとはしない。
考現学はその後、「生活学会」や「現代風俗研究会」や「路上観察学会」や「ファッションの定点観測」など受け継がれていく。
私はこのブログを少し書くようなってから(そんなに永く続くとは思えないが)、歩いていても「何か絵になるもの」(=何か写真に撮れるもの)はないかと探すようなった。これって考現学(?)ではないのか。いや単なる路上観察かもしれない。
いずれにしろ、まだ書庫に残っている『考現学入門』(今和次郎、ちくま文庫、1987)を取り出し、少し読み返し、考えてみよう。

作家の言葉

「生きることは失うことと同義だ、日々を過ごしているだけで私たちは何かを失う。失わない人生はあり得ないのだ」 「失うことはマイナスでもプラスでもなく、何かを持っていたという証しだ」

上記は、作家・角田光代の言葉である(星野博美『のりたまと煙突』解説、文春文庫)。
作家は、本当に、的確な言葉を探し出すものだと感心する。