教育において事実をふまえることの重要性

教育において事実をふまえることの重要性に関して、オックスフォード大学の苅谷剛彦氏は、今日の朝日新聞の記事で述べている。(朝日新聞3月20日朝刊より転載)

■現場に密着し、検証を行え   苅谷剛彦
 1998年、「ゆとり教育」が全面開花する学習指導要領が改訂された。改革の前提として文部省や審議会は「子どもたちが学び過ぎている」と考えていたが、実態を調べていなかった。
 私たちの調査結果は、その前提を突き崩すものだった。高校生の学習時間を調べると、97年は79年より明らかに短くなり、学び過ぎどころか、学ばなくなっていた。親の学歴が学習時間に与える影響も大きくなっていた。
 ゆとり教育を進めると、不平等がさらに拡大すると考え、発言を始めた。そこに「分数ができない大学生」が注目され、学力低下批判に火が付いた。
 景気が低迷し、非正規職が増える中、学校教育は格差のブレーキにもアクセルにもなりえる。臨時教育審議会以降の「ゆとり教育」は、明らかにアクセルを踏んだ。子どもの個性や意欲を重視し、主体性に任せる教育を目指した結果、小学生から学習の成果や意欲に階層差が生まれ、年齢が上がるに連れて拡大していることも、調査で判明した。
 文部科学省の政策転換によって学力低下を問題にする声はトーンダウンした。だが教育現場の実情は当時より厳しくなっている。そもそも、教員数が足りない。2008年の指導要領改訂で教える内容を増やしたものの、資源は追加投入されず、教員1人当たりの仕事が増えている。世代交代が重なり、経験の浅い教員も多い。
 20年度に新しい指導要領に移れば、この傾向はさらに強くなる。新指導要領は「主体的・対話的で深い学び」を目指し、子どもが話し合い、発表する「アクティブ・ラーニング」を重視する。効果のある実践にするためには、学級規模を一層小さくする必要がある。
 新指導要領は英語教育の早期化、プログラミング教育の必修化など、高度な内容も入れている。現場の教員が疲弊すれば、低学力の子に目がいかなくなる。しわ寄せを受けるのは、家庭環境に恵まれない子どもたちだ。
 過去の教育の欠陥を前提に理想を掲げて現場に下ろすが、人、モノ、カネはかけない。日本の教育改革はその繰り返しだった。
 いま必要なのは現場に密着し、その実績から、何ができ、何ができなかったかを検証することだ。実際に結果を残してきた実践とは何だったのか。日本の教育の強みと弱みはどこにあるのか。抽象的な理想を掲げ、わかったつもりで突き進むより、現場の現実や実績と向き合うことからしか、有効な改革の糸口は見つからない。

事実を隠蔽や忘却するということの意味

社会学(教育社会学も)にとって、事実にもとづいて議論することは基本中の基本である。さらに、隠れている事実を暴露することに多くのエネルギーを注ぐ。事実を隠蔽することなど論外である。

ただ逆に事実を知ることで、失われることはないのであろうか。事実の隠ぺいや忘却で得るものはないのであろうか。
これは、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』(早川文庫、2017)を読んでの、多くの人が抱く感想であろう。

「恨みや憎しみをも忘却して平和に生きるのか、記憶を取り戻し、またまた争いごとのなかで生きるのか、どちらが良いのだろう?」
「皆の記憶を奪うことで守られるものもある」
『その霧によって平和が保たれていたのは確かだ。霧がかかっていなければもしかしたら終わっていた愛も、霧の中で新たに育まれた。さあ霧が晴れた時にどう生きるか。』

以下、ネットで見た、カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の感想を転載。

「アーサー王伝説がベースになったファンタジー。皆の記憶を奪うことで守られるものもある」
「事実が忘却されることで、世界は融和に向かうものの、人がそれを望まないので、修羅の巷が蘇ることになるという構成は、非常にユニークだなと思いました。 世の中が平和であることに至上の価値をおくのであれば、知らないことを良しとするのも、またひとつの道なんでしょうが、無知を許容することって難しい。 面白い本でした。」
「雌竜によって、記憶が失われていく世界。それに抗おうとする人々。そして、老夫婦の夫婦愛。恨みや憎しみをも忘却して平和に生きるのか、記憶を取り戻し、またまた争いごとのなかで生きるのか、どちらが良いのだろう?」
「戦争や民族対立などの忘れてはならない出来事が忘れられつつあるいまを、ファンタジー形式で描写している。一方で物語の中心は夫婦愛。どんな過去があっても、夫婦の絆が変わらないものであるか、試される場面が随所に出てくる。」
「この作品の終着点が、ここなのか!という驚き。単純に考えれば記憶を忘れさせられるなんて理不尽だ。だけど、その霧によって平和が保たれていたのは確かだ。霧がかかっていなければもしかしたら終わっていた愛も、霧の中で新たに育まれた。さあ霧が晴れた時にどう生きるか。」
「記憶がテーマのファンタジー小説。 民族間の戦争や死、夫婦の愛など、幸福も不幸もないまぜになった記憶を、忘却から取り戻すことは果たして正義なのか、という命題を与えてくれる。 世界観は幻想的であるが、本質はリアルなところにあり、日本が抱える近隣諸国との歴史解釈問題などにも通ずると感じた。」