筑波に牡丹(ぼたん)の花を見に行く

今日は、牡丹(ぼたん)の花を見に「つくば牡丹園」行ってきた(千葉から高速道路を使って約1時間10分ほど)。私が牡丹や芍薬の花をたくさん見るのは初めて。

日本で、美しい女性の容姿や立ち居振る舞いが、「立てば芍薬、座れば牡丹…」と形容されてきた。その例えの通り、なかなか日本的で控えめで、上品な花という印象だった。バラと同じように花は大輪でゴージャスな作りだが、バラのような自己主張は感じられず、控えめな印象である。開花して3日もすると萎れてしまうという(ただ、牡丹にもいろいろな種類があり、また牡丹と芍薬の花の違いがよくわからない。牡丹は芍薬に接ぎ木して殖え、芍薬は球根で殖えるという)。帰り際に、芍薬の苗木が数本入っているプランタンを購入した。その育て方を読んだら、かなり難易度が高いことがわかり、これはかなり覚悟して育てなければと思った。

*Peony Garden Tokyo(つくば牡丹園)は1989年の開園当初から無農薬・酵素農法にこだわった土職人(園長・関浩一)が、800種にものぼる牡丹・シャクヤクをはじめとした花々を咲かせている関東随一の庭園です。春から初夏にかけて約5万株の牡丹とシャクヤクが咲き誇る庭園です(https://jp.peonygardentokyo.com/)

昔の大学研究室の教師―学生関係

昔ある同僚の先生のお宅に電話をしたところ、奥様が出られて、「夫は今いない。私は関係がないので、大学で話してほしい」と、不機嫌な声で言われたことがある。そのようなケースは稀で、大抵は同僚の奥様が私のことをご存じで、丁寧な対応をして下さる。私が学生や院生の時、指導教授の先生のお宅に電話した時も、同様の丁寧な応対を受けたと思う。私たちの学生院生の頃は、少人数ということもあったが、研究室の先生(教授、助教授)が、ご自宅に招いて下さることがあり、また正月には年始の挨拶に伺うこともあり、先生の奥様の手料理をいただき、奥様は我々学生院生のことを気遣って下さっていただいていること感じた。

このような、大学における教員と学生院生との関係は、今は様変わりしていると思う。大学教員が、自分の私生活を学生院生に示すこともないのではないか。教師―学生院生関係は、公的な教える―教わるという関係であり、そこに私的な関係が入る必要や余地はないと考えられていると思う。現代の教師-学生関係はそれでいいと思うが、昔の先生の奥様や家族まで巻き込んだ研究室やゼミの教師―学生関係にもよさはあった、そこから学ぶことも多かったということを書いておきたい。教育は全人教育の面がある。

大学時代の恩師のひとりである松原治郎先生の奥様が、2月19日に90歳でご逝去されたというお知らせを息子さんからいただいた。昔松原先生の奥様からもいろいろお気遣いやお世話いただいたことを思い出した。ご冥福を心からお祈りする。

非対面(孤独)の効用

新型コロナの感染の終焉が言われ、かっての日常のように、人と対面の活動が戻ってきている。学校のクラブ・部活動でもマスクなしの対面での活動が復活して、大学の授業でも、遠隔授業減り対面授業に戻りつつある。そのような中で、対面活動ができる日常が戻ってきたことへの喜びの声が報道されることが多い。しかし、人との対面活動の減少、自分に向きあう時間の増加という、新型コロナ時代のよさも忘れてはならないであろう。

高島鈴は、「今と違う社会のあり方を模索する営み」を「革命」と称し、「生産性」重視の社会を問題にしている。そこでは、人々は学校や会社に通い、対面行動を通じて生産性をあげるようと必死に学び、働いている。家に引きこもって何も生産していない人は、「穀潰し」として糾弾される。それに対して(『布団な中から蜂起せよ』という本を書いた)高島は、人を「生産性」で測って使い潰そうとする仕組みが蔓延している世の中で、「ただ存在して生き延びることは、常に革命的なのです」と述べている。(朝日新聞、2,023年4月12日、朝刊)

哲学者の柄谷行人は、大作『力と交換様式』(岩波書店2022)の書いた心境に関して、「コロナの少し前から、あまり外に行かないで、家の周りを歩くだけの日常を3年以上送りながらものを書いていた。世の中から離れてしまった感じが、まだ続いているんです」と、説明している(朝日新聞、2,023年4月12日、朝刊)。

村上春樹は、6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』(新潮社,2023.4)を書いた理由として、「新型コロナウイルスの影響で外にあまり出なくて、自分の内面と向き合うような傾向が強くなったんじゃないかな」と回顧している(朝日新聞、2,023年4月13日朝刊)

哲学にしろ、文学にしろ、歴史に残る優れたものは、浅い人との関係や対話からではなく、深い思索や自分との対話から生まれてくるように思う。引きこもっている人、退職して孤独に過ごしている高齢者は、その利点を生かすべきだと思う。

潮木守一先生のご冥福をお祈りします

知り合いの先生から、潮木守一先生(名古屋大学名誉教授)が2月26日に亡くなられということをお聞きし、いささかショックを受けている。ご冥福を心よりお祈りする。

私が大学で教育社会学の授業を受講したしたのは、大学2年の駒場での潮木先生の「教育社会学演習」が最初である(A.H.ハルゼーらの教育社会学の英文のリーディングスがテキストであった)。以降学会や研究会でお話をお聞きし、先生の多くの著作から多くを学んだ。2015年11月15日に、上智河口湖ハイムに、先生に来ていただき、少人数でお話を聞きしたのが、お会いした最後かもしれない(2015.11.16,20のブログにその記録を残した)。

私の授業や原稿でも潮木先生の『キャンパスの生態誌』(中公新書,昭和61年)の中の、大学の3類型の話はよく取り上げ紹介してきた。ブログにも、潮木先生のことやその著作に関して何度も書いている(2011.5.6, 2012.5.6, 2015.1029.他)。広島大学高等教育開発センターのサイトで、先生の講演の記録(生い立ちから、研究生活、若い研究者へ)が読むことができる

https://rihe.hiroshima-u.ac.jp/center-data/researchers-resume/ushiogi/)。

先生は在職期間の長かった名古屋大学で多くのお弟子さんを育てているが、それ以上に、教育社会学会やその著作を通して後進の研究者に影響を与え、日本の教育界を導いてきたと思う。

友人のM氏から下記のようなメールをいただいた。<本日、潮木先生の訃報に触れました。とても残念です。寂しいです。潮木先生の翻訳A.H. ハルゼー『イギリス社会学の勃興と凋落――科学と文学のはざまで』(世織書房、2011年)はイギリス研究者にとっては必読書でした。教育社会学会の世代交代にあってまた学会の大きな星が消えた想いです。潮木先生がお書きなった「転換点に立つ教育社会学ー日本からの視点ー」(教育社会学研究)は、いまの教育社会学研究の在りようを予言する文章です。>

有本章編著『学士課程教育の質保証に関する研究Ⅵ』(2023.3)を読む

有本章先生から、有本章編『学士課程教育の質保証に関する研究Ⅵ』(兵庫大学・兵庫大学短期大学部・高等教育センター、2023年3月)をお送りいただいた。長年の調査研究の集大成の報告書ということで、研究成果のぎっしり詰まった内容で教えられることがたくさんあった。高等教育の歴史や高等教育に関する理論と、主にA大学の実際の大学の現場の組織や、教員の意識や授業の実態、学生の意識や行動の実際を突き合わせて、問題点や実践課題を探り、大学経営や大学に適した教育や指導の方法を提起するという内容で、大学経営者や高等教育研究者にとって示唆的な内容で、後世に残る報告書だと感じた。

有本章教授は、広島大学の新堀通也先生の門下の研究者で、日本教育社会学や日本高等教育学会の会長も務め、世界の高等教育の歴史と理論に精通し、日本の高等教育政策にも関わり、その研究や提言は日本の高等教育の政策に多大な影響を与えてきた方である。私の学生文化研究にも理解を示して下さり、A大学のシンポにも呼んでいただいたことがある。

主に調査対象になったA大学とA短期大学で、教員と学生の意識や行動、数年間にわたる経年比較可能な実証的なデータを蒐集し、それの緻密な分析をしている。(学部生調査は、山崎博敏教授が6年間の経緯を丁寧に追っている)。その実証データからの問題点の指摘、提言は、高等教育研究や教育社会学の理論に裏打ちされていて、説得力がある。これからのA大学やA短大、さらに全国の類似の大学や短大の経営や教育のあり方に関する有本教授の提言には、高等教育研究者の第1人者としての強い情熱と使命観が感じられ、感銘を受ける。

この有本教授らのA大学とA短大を主な事例とした研究を読んで、私もこれまで専任や準専任として勤めてきた大学(武蔵大学、上智大学、敬愛大学)のことを、その大学の歴史、建学の精神、偏差値、学部、地域などの様々な要因も考察し、教員や学生の実態に即して、分析考察したくなった(実際は、私の年齢と研究意欲のなさのせいで無理だと思うが)。有本教授の書かれていることは納得でき教えられたことが多いが、私の感じでは少し違うなと感じることもあった。それについては整理して、いつか有本先生と議論してみたい。