非対面(孤独)の効用

新型コロナの感染の終焉が言われ、かっての日常のように、人と対面の活動が戻ってきている。学校のクラブ・部活動でもマスクなしの対面での活動が復活して、大学の授業でも、遠隔授業減り対面授業に戻りつつある。そのような中で、対面活動ができる日常が戻ってきたことへの喜びの声が報道されることが多い。しかし、人との対面活動の減少、自分に向きあう時間の増加という、新型コロナ時代のよさも忘れてはならないであろう。

高島鈴は、「今と違う社会のあり方を模索する営み」を「革命」と称し、「生産性」重視の社会を問題にしている。そこでは、人々は学校や会社に通い、対面行動を通じて生産性をあげるようと必死に学び、働いている。家に引きこもって何も生産していない人は、「穀潰し」として糾弾される。それに対して(『布団な中から蜂起せよ』という本を書いた)高島は、人を「生産性」で測って使い潰そうとする仕組みが蔓延している世の中で、「ただ存在して生き延びることは、常に革命的なのです」と述べている。(朝日新聞、2,023年4月12日、朝刊)

哲学者の柄谷行人は、大作『力と交換様式』(岩波書店2022)の書いた心境に関して、「コロナの少し前から、あまり外に行かないで、家の周りを歩くだけの日常を3年以上送りながらものを書いていた。世の中から離れてしまった感じが、まだ続いているんです」と、説明している(朝日新聞、2,023年4月12日、朝刊)。

村上春樹は、6年ぶりの長編小説『街とその不確かな壁』(新潮社,2023.4)を書いた理由として、「新型コロナウイルスの影響で外にあまり出なくて、自分の内面と向き合うような傾向が強くなったんじゃないかな」と回顧している(朝日新聞、2,023年4月13日朝刊)

哲学にしろ、文学にしろ、歴史に残る優れたものは、浅い人との関係や対話からではなく、深い思索や自分との対話から生まれてくるように思う。引きこもっている人、退職して孤独に過ごしている高齢者は、その利点を生かすべきだと思う。