テンションの高さ

今日(9月⒙日)から後期の非常勤先の授業が始まる。長い夏休みですっかり下がってしまったテンションを上げなければならない。
昔院生の時、指導を受けた松原治郎先生はいつもテンションの高い方で、いろいろなことをてきぱきとこなし、ご一緒している時は自分も感化されて、自分でもいろいろなことができるような気になったが、一人になるとテンション(と能力)の低い自分には無理と落ち込んでしまう。
それでも、テンションの高い人と接したり、その姿を見たりすることは必要なことだと思う。とりわけ私のように日頃、ンションの低い人間にとっては必須である。そうしないと、私のテンションの低さに、学生は授業中すぐ寝てしまうのではないかと恐れる。
 
 先ほどたまたま見たYouTube(学生団体「SEALDs」の会見)では、冒頭の部分は、明快でスピード感のある英語を、心地よいテンションの高さで若い通訳の人(外人)が話していて、このテンションの高さとさわやかさを模倣して、今日の授業に臨もうと思った。

http://thepage.jp/detail/20150916-00000002-wordleaf

小学生の暴力行為増える?

 先に書いたように千葉市の小学校を訪問しても、今の小学生が荒れているという印象はない。しかし、今日の新聞を読むと、小学生の暴力行為が増えているという記事が、文部科学省の調査から報じられている(下記)。
 新聞に出ている都道府県別のデータでは、小中の暴力行為の割合(千人当たり)が、東京1.8人 、埼玉2.6人に対して、千葉5.7人と異常に高い。
 新聞記事をそのまま信じていいのか、元の文部科学省の調査のデータ(文部科学省の解釈ではない)を見てみる必要がある(今は時間がないので、後でじっくり見ることにしよう)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/09/1362012.htm)
 少年の殺人件数の増減と、新聞が少年の殺人を記事にする数は対応していないという研究があるので、実感と違うマスコミ報道には、気を付けた方がいい。

朝日新聞9月17日 朝刊より転載
小学生の暴力行為、1万1千件で過去最多 昨年度調査
 昨年度の小学生の暴力行為は1万1468件で、前年を約5%上回って過去最多となった。文部科学省が16日、国公私立の小中高校を対象にした「問題行動調査」の結果を発表した。中高生の暴力が大きく減ったのとは対照的に、増加に歯止めがかからなかった。
 小学生の暴力の内訳は、児童間が7113件、対教師が2151件、器物損壊が1997件、それ以外の人への暴力が207件。教員を何度も蹴る▽文具を隠したことをきっかけに殴り合う▽登校中に雪玉をガラスに投げて破損させる――などの例があった。暴力があった小学校は、校内に限っても全体の12%にあたる2499校にのぼった。
 文科省は、繰り返し暴力をふるう子や感情のコントロールができない子が増えていると分析。貧困などの課題を抱える家庭が増え、小学校入学前に言葉で意思を伝えさせるなどの家庭教育が十分でないケースが目立つという。加害者数を学年別にみると、小6は前年度より減ったが、小1は5年前の2倍以上に増えた。
 一方、中学生の暴力行為は3万5683件(前年度比11・3%減)、高校生は7091件(同13・6%減)。減少は、非行集団が減った影響などが考えられるという。小中高生の合計を都道府県別にみると、千人当たりの発生件数が最も多かったのは大阪府の10・6件。最少は秋田県の0・6件だった。
 暴力行為以外の調査では、小中高校生の自殺が230人。原因とみられる状況は「進路問題」が21人、「家庭不和」が20人。「いじめ」も5人いた。全体の人数は前年度を10人下回ったが、小学生は3人増えて7人だった。
 小中学生の不登校は計12万2902人(前年度比3285人増)。小学生は千人当たり3・9人で過去最多だった。

御宿ゼミ合宿〔その2〕

 御宿で、大学生の行動を見ていて、感じたこと。
① 大学2年生ということは19歳と20歳とが半々に混在していて、お酒を飲めない(飲まない)年齢が半分。したがって、アルコールの消費量はわずか。お酒を飲まない合宿というのも珍しい。
② 買い物や料理、テーブルの設営、そしてホットプレートでバーベキューと、やることがたくさんある。その中で、黙々と料理する人、配膳をする人、「僕食べる人」に徹する人などいろいろで、学生達の家庭での様子、将来の家庭人としての姿勢など見えて興味深い。異性と付き合う前&結婚前に、このような体験をすれば、相手のことがよくわかると思った。
③ フジテレビの月9のドラマ「恋仲」(http://www.fujitv.co.jp/koinaka/index.html)の最終回をたまたま皆で見る。皆自分のことのように真剣に見て、喜んだりため息をついたり大騒ぎ。昔(40年くらい前)、テレビドラマ「不揃いのリンゴたち」(山田太一)を大学生がこぞって見て、恋愛や生き方を考えた時と変わらない。
 私と半世紀違う大学生と2日間一緒に過ごして、あまり違和感を感じないないのは、歳を取ると精神的には逆戻りしている部分もあるのかもしれないと思った。

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2年ゼミ

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御宿ゼミ合宿

9月14日〜15日は、敬愛の2年ゼミの御宿ゼミ合宿。
天気快晴。泳ぎ、バレーボール、野球、バーベキュー、ゼミと、夏の終わりを楽しむ。

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同世代に共感

社会学に世代論がある。同じ年代に生まれた人は、同じような社会体験をして育ってきているので、同じような考えや価値観をもつというものである。
藤原新也は、1944年3月4日生まれである。知人のMさんはもう少し若いが、ほぼ同世代で、私と同じく藤原新也のファンの一人らしい。藤原氏の本を読んだ感想を書き留めているとのこと。その内容を送っていただいた。共感する部分が多い。許可を得て、転載する。

○藤原新也の「なにも願わない手を合わせる」(文春文庫)を読みました。私たちの人生の大半は、人といかに交わり、反し、和解し、愛し合うか、に費やされます。自己と他者との過不足のない折り合いを見つけることは生易しいことではありません。ましてや死んだ人とはなおさらです。著者は肉親が他界するたびに四国巡りをします。ガンを患った兄の壮絶な最期に立ち会い、あるお寺の地蔵菩薩に兄の顔が重なります。三十六番札所の青龍寺で祈る幼女の姿に「無心」の境地をみます。愛する者の死をどう受け入れるか、いかに祈るのか。(2006年10月9日)
○「しおれ、悲しみ、滅入り、不安を抱え、苦しみにさいなまれ、ゆらぎ、くじけ、うなだれ、よろめき、めげ、涙し、孤独に締めつけられ、心置き忘れ、打ちひしがれ、うろたえ、落ちこみ、夢失い、望みを断ち・・・・・・あとは生きることしか残されていないほど、ありとあらゆる人間の弱さを吐き出すがいい」。これは藤原新也の「メメント・モリ 死を想え」の一文です。普通は「死ぬしかない」ですが「生きることしか残されていない」とは、苦しみ抜いて解脱した仏陀の心境に近いものです(2008年11月6日)
○12世紀ドイツのスコラ哲学者、聖ヴィクトルの言葉です。「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」。全世界を異郷と思う者、なんと説得力のある言葉でしょう。西行も芭蕉も旅を人生の友としました。藤原新也も放浪の旅を続けています。常に異国にあり、全世界を異郷と思っているのです。私もリタイアしたら「異国の客」として、「故郷が甘美」→「あらゆる場所が故郷」→「全世界が異郷」という心の旅を辿りたいと思っています(2008年12月14日)
○藤原新也の言葉です。「人間、だれからも褒められる優等生でなくとも、あるいは名を成さなくとも、その人生に一度でも何か心に深く残るような行いや人との関わりがあれば、それでその人の人生は成就したのだと、私は人によく言う」。藤原の言葉を私流に敷衍すると「よく死ぬためには今をよく生きること」。死という誰しもが避けることができない一大事の前で、大事なのは「今」なのです。今何が大事かを取捨選択し、それに優先順位をつけ、「行い」や「関わりあい」をすること。こういうことを常に「思念」(考え思うこと)することが大事なのです。(2010年1月10日)
○朝日新聞5 月30日、「おやじのせなか」藤原新也氏から抜粋「(おやじの旅館は)あっけなく消滅した。関門トンネル開通で人の流れは変わっていた。閑古鳥が鳴き、僕が17才の時に倒産。親しかった人間が手のひらを返し、借金のカタで家財を一切合切持って行った。けど、おやじは恨み言を一切吐かなかった。逆に、その借金取りの一人が後で病気になり、お袋が『罰が当たった』とつぶやいた時、珍しく激怒してしかった」。「珍しく激怒」したこと、自分が窮地に陥っても決して人のせいにしない、これが男の品位(矜持)というものだろう。藤原さんのお父さんは若い頃は渡世人で、満州に渡り宝石で大もうけをして、門司で旅館を経営したそうです。藤原さんの骨太の思想はこのおやじさん譲りなのでしょう。(2010年6月4日)