ディズ二―ランドについて

ディズニーランドについての思いを書き留めて置きたい。
① 私の年輪のものをほとんど見かけなかったように、古い世代は関心をディズニーランドに関心を示さない。あのような騒がしい場所は大嫌いと思っているものが多いのではないか。
② これは、高齢者世代だけでなく、中年世代の中にも、同じように感じている人はかなりいて、一度もディズニーランドに行ったことがない人がかなりいる。私も最初はそう思っていた。東京ディズニーランド(TDL)はいろいろな乗り物がある遊園地のようなもので、わざわざ行く必要がない場所と。
③ ところが、最初に家族で3歳の娘を連れてTDLに行き、私の認識が間違えていたことを思い知らされた。乗り物はメインではなく、アトラクションやパレードが主で、独特のコンセプトがあり、子ども達を虜にする何かがある。子ども達が大喜びしている姿を見ると、大人も童心に返る。(TDLはフロリダのDL以上に楽しい)
④ ディズニーランドに関する本はたくさん出ている。「夢の徹底的追求」、「古き良き19世紀のアメリカがモデルで、郷愁を感じさせるだけで保守的」(川本三郎)、「ペストを流行らせヨーロッパでもっとも嫌われている動物・ネズミをなぜヒローにしたのか」(藤原新也)「ディズニーヒロインのジェンダー分析」等々。
⑤ ディズニーランドは夢の世界で、夢の世界に没頭できる人〔=子ども〕と一緒に行かないと楽しめない。園内の人々は、夢の世界でとても楽しそうで、笑顔に溢れ、イライラしている人、苦虫を噛んだような顔をした人をまったく見ない。JR舞浜駅で、夢の国からの帰還者と仕事で疲れ切ったサラーリンマンのミズマッチは面白い。
⑥ 日本にもハロウイーンが入り始めた今、そしてこの季節、ディズニーランドは一層面白いかもしれない。日本のコスプレは洗練されており、ハロウイーンの仮装は世界トップクラスであろう。今回観衆の多くの仮装を見かけたが、キャスト以上にきれいなシンデレラや、ジョニーディップそっくりの仮装者がいて、一緒に写真を撮ってもらている姿が見られた。
⑦ ディズニーランドに一度も行ったことのない人、ディズニーランド嫌いな人も、一度TDLに行ってみることをお薦めする。その際には、幼児、子どもないし、ディズニーランド好きの青年と一緒に行くことが必須。
http://www.tokyodisneyresort.jp/tdl/

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犬の散歩

TDLへ連れて行けなかった代わりに、ソフィー(キャバリア犬)を、稲毛海浜公園へ連れていく。うちからはTDLへ車で30分、稲毛海浜公園までは12分。大した違いはないが、同じ海に近い埋め立て地ながら、かなり違う雰囲気。後者は、人が少なく、特に若者が少なく、のんびりしている。ソフィーものびのび。

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秋のディズニーランドに行く

昨日(9月11日)、娘の家族がディズニーランドに行くというので、同行する。3歳と9か月の子どもの「ディズニーランドデビュー」を見ることができた至福。私がこの前行ったのは上智の学生と一緒に行った時なので10年くらい前。
久しぶりの秋晴れで、ハロウイーンのイベントが始まったということもあって、平日だというのに、大変な入場者。ファーストパスを取りアトラクションを効率よく回る。この時期は、入場者の中に、ハロウイーンの仮装をした人も多く、見ているだけでも楽しい。午前、午後、そして夜とパレードを3回も見ることができ大満足。シンデレラ城の夜のショウも素晴らしく、さすがTDLだと思った。

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日本教育社会学会大会2日目

今日の学会大会も、いい発表が多く、多くのことを学んだ。
課題研究Ⅱでは、「子どもの貧困」に教師はどう向き合えるのか、というテーマが取り上げられ、いい議論がされていた。報告者の3人の話もよかったが、討論者の倉石一郎氏(京都大学)の的確なコメントに感心させられた。この部会から、次のようなことを考えさせられた。

・「子どもの貧困」は、根源的な問題。根源的な問題に対しては、真正面から向き合うことはかえって難しい。そこで少しずらし、「社会的排除」など他次元から迫るという方法もある。
・「貧困」や「生活保護」家庭など、何かのカテゴリーを付すことは、カテゴリー化の暴力に晒すことになる。それを乗り越える方法を考えなくてはならない。
・「子どもの個性に応じる教育」が今強調されているが、それは社会的なものを欠落させる危険性をはらんでいる(⇔個性的ということはある社会状況との係わりが必ずあるので、社会的を欠落させることにはならない)
・社会的ということは、コミュニケーション能力を高め、周囲に同調し、現状を肯定することではない。批判的にものごとを考えることである。
・教育には、「泣き言を言わない」「頑張って乗り越えなさい」という主体性志向がある。それは現状の社会の状況を批判的に考えることなく、個人の力で解決しなさいという言説になる。
・学校に導入されたソーシャル・ワーカーに子どもの家庭的な問題や社会的な問題を押し付け、教師は教科の専門家であり、それに関与しないという姿勢は問題である。教師の指導の福祉的側面を検討する必要がある。

学会発表には、報告者と聴衆がいる。同時にいくつもの発表会場があるので(一般の部会では10部会、課題研究では3部会が同時に開催されている)、聴衆の方はどの発表を聞こうかと選択に迷い、報告者にとっては自分の発表にどれほどの人が聞きに来てくれるのかということが気になる。
発表時間は20分であり、その中にこの1年(あるいはそれ以上)研究したことを詰め込むので発表の密度は濃い。その分、聴衆も集中力を高め聴き入る。質疑応答の時間は5分の真剣勝負。(以下は感じたこと。)
① 散漫な発表、未完の発表、手抜きの発表、個人的なこだわりが過ぎる発表は、聞き手の集中力が高ければすぐわかる。学会の限られた貴重な時間をそのような発表を聞くことで無駄にしたくないという気持ちを皆持っている。したがってそのような発表には人が集まらなかったり、今年は仕方がないが、来年は絶対聞くまいと思う。
② 発表者は、苦労して発表の準備をしてその日に臨んだ甲斐は皆感じている。なんといってもその場の主役であり、達成感がある。発表が終わってから聴衆に囲まれ、新たな交流も生まれる。
③ それに対して、発表もせず、質問もしなかった聴衆(今回の私)は、蚊帳の外に置かれ、疎外感を味わう。(個人的に新たな知識や洞察を得て、自分の研究に大いに役立ったという自己満足があるにしても)。来年は、もう少し積極的な参加をしようと思う。

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日本教育社会学会大会始まる

関東地方は大雨だが、日本教育社会学会67回大会が駒沢大学で開催されている(9月9日〜10日)。
参加者は初日で500人を超えて、学会の勢いを感じる。参加費は一般会員は5500円であるが、439ページの「発表要旨集録」をもらえ、自由に100以上の最新の研究成果の発表を聞けるというのは、決して高い額ではない。大学院生(会員)は4500円だが、学部生は2500円で、聞くことができる。
私は9日だけで20以上の発表を聞いたように思う。一番印象に残ったのは、渡邊雅子名古屋大学教授の、フランスとアメリカでは大学入試で学生に求められる能力が違う(論述問題で、私(Je,I)を使うか使わないかの違いもあるという)という発表(国際的学力調査が意味があるのだろうかと思った)。。
懇親会では、久しぶりに会う友人、知人も多く、旧交を温める。全体では見知らぬ若い人(会員)が多い。昔助手をして学会の事務局の仕事もしていた時は、参加者の8割の人を知っていたが、今回は8割の人の顔ははじめて見るような気がする。

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