実態の伴わない形式だけでスーパーグローバル大学

スーパーグローバル大学に選ばれると巨額の資金が得られる(それだけ、他の大学予算が削られている)。そこで必要な「外国人教員等」は、外国での研究歴が1年以上3年未満の日本人でもいいとのこと。(私でも、後1日アメリカにいれば、カウントされたのかもしれない)。 
この政策が、いかに形式的で、実質を伴わないものか、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏が、日経新聞で批判している。
このように、予算の傾斜配分も、よほど気を付けないと、貴重な血税の無駄使いになる。文部科学省も、建前ばかりなく、実質(実際)にも、気配りをしてほしい。

苅谷氏新聞記事

中秋の名月

今日(28日)、夕焼けがきれいであった。
今日は、中秋の名月ではないが、月がきれいで大きく見えるというので、デジカメで撮ってみた。
やはり、あまりうまく撮れない。(最後の写真はSさんから送っていただいたもの)

朝日新聞のデジタルに、いい月の写真がある。

 中秋の名月
 http://news.asahi.com/c/akxhejhm6nxnsqa4

28日の天声人語にも、味わいの深い文章が掲載されている。

<一日遅れをお許し願って、とぼけた味わいの井伏鱒二の詩の書き出しを紹介しよう。〈今宵(こよい)は仲秋明月/初恋を偲(しの)ぶ夜/われら万障くりあはせ/よしの屋で独り酒をのむ……〉。「われら万障くりあわせて、独り酒をのむ」では矛盾していないかと、ヤボを言ってはいけないらしい▼ここは理屈より想像力の出番となる。初恋の人を傍らに呼ぶわけではあるまい。「われら」は月との二人連れをいうのだろうと、どなたかが解釈していた。十五夜の月は、酒場の灯(ひ)ともし頃(ごろ)を待ちかねるように東の空にお出ましになる▼さてゆうべ、お月様は万障繰り合わせてくれただろうか。雲に隠れたところもあったようだが、拝み損ねてもがっかりすることはない。十五夜が必ずしも満月とは限らない。満月は今夜である▼月は地球に「ウサギ模様」のある面しか見せずに回っている。SF作家の星新一は、天地創造のときに天使が月の裏に落書きをして、神様が困って人間に見えないようにしたと愉快な想像をめぐらせた▼56年前の秋、裏面はソ連の「ルナ3号」に初めてその姿を見せる。むろん落書きも、地球侵略をもくろむ宇宙人の基地もなく、表側より単調な表情をしていると分かった▼科学の進歩で空想や神話は葬られても、月を恋う人間の気持ちは変わらない。〈太陽と未来 月とは過去語る〉西出楓楽(ふうらく)。井伏の詩に通じる川柳にうなずく方は多かろう。人間だれも、月を友としたい夜がある。今宵はその名もうるわしい十六夜(いざよい)の月だ。>

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名月