過去の読書体験について

読書、特に小説に関しては、自分の好みの作家のものを読み、なかなか未知の作家の作品を読むことが難しい。ただ、若い時は国語の教科書に載っている作家のものや先生や友人から勧められた本を読むことはすると思う。私の場合、大学3年の時にたまたまポスターを見て参加するようになった『鑿壁読書会』(市川の図書館の読書会)で、月2冊、課題の本(小説)を読み、読書の幅が広がった。

最初に参加した時に取り上げられていた小説が、大江健三郎の「死者の奢り」で、はじめて大江健三郎の小説を読み、そのみずみずしい感性と文体に衝撃を受けた。その会の中心を担っていたK氏ら(「風の便り」の執筆者の辻氏はその時のメンバー)は自らも小説を書き、新しい小説に関心があったようで、そこで取り上げられる作家は、大江の他、安部公房、倉橋由美子など、斬新なものが多かった。それ以前、武者小路実篤、井上靖などしか読んでいなかった私も、おかげで時の最前線の小説を読む機会を得た。

大江健三郎が先日88歳で亡くなったという報に接し、上記を思い出したので、私の大江の読書体験を期しておく。同世代の友人からは「いま大江健三郎の訃報に触れました。私たち青年期に読んだ巨匠が…ショックを受けています」というメールもらい、下記のように返事を返した。

私の場合は、「死者の奢り」や「飼育」「芽むしり仔撃ち」を最初に読んで、その文章と内容のみずみずしさに心を打たれ、すっかり大江ファンになりました。ところがその後の作品で、共感が得られずそこで「挫折」してしまいました。さらに、江藤淳が大江健三郎の小説「個人的体験」の終わり方に二通りのものを用意した(専門家向けと一般向け)ことに対して呆れたと書いていることに共感し、それ以降大江健三郎の小説も文章も読まなくなりました(「ヒロシマノート」も読んでいません)。もう少し冷静に大江健三郎を読んでおけばよかったと、今頃になって思います。

3.11に思う

 

今日(3月11日)は、東日本大震災から12年目。私のHPでも「3.11」というキーワードで検索すると10弱の書き込みが出てくる。その他にも災害教育に関係して、いくつかのことを記録にとどめている(釜石の奇跡等)。それらを記憶にとどめると同時に、今後の心構えや見方もしっかりしたい(今日の新聞記事を転載しておく)。

「岩手県陸前高田市出身の佐々木朗希投手が、東日本大震災があった3月11日にWBCにデビューし、8つの三振を奪った。」(朝日新聞3月11日)

「2万2千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から、11日で12年を迎えた。津波に襲われた被災地では、朝から多くの人たちが犠牲者を思い、祈った。一人で、家族で、みんなで。あの日を忘れないという誓いを新たにした。」(同上)

「2011年に起きた東日本大震災は日常の価値観を揺さぶり、数多くの創作に影響を与えてきた。発生から12年になろうとするなか、震災を作中に取り込んだ新海誠監督のアニメ映画「すずめの戸締まり」が大ヒット中だ」(朝日新聞デジタル、2023年3月9日)

八千代の河津桜を楽しむ

今年は少し油断して、花粉症の薬を飲む時期を逸して、花粉症になってから薬を慌てて飲んだ。やはり飲む時期が少し遅かったようで、少し難儀している。それで遠出を諦め、近場の「花紀行」で我慢している。

自宅から車で20分のところの八千代新川の土手には河津桜が千本植わっている。河津桜の花は咲き始めたら早く、3月6日に見に行った時はまだ2分咲きくらいであったが、その4日後の昨日(10日)見に行ったら、もう満開であった。行ったのは、夕方であったので、夕日を浴びた河津桜の為、本来の色(桃色)とは少し違う味わいであった。夕暮れと共に、ライトアップも加わって、いろいろな色の河津桜な見ることができた。

伊豆の河津桜は、今年はネットで見るだけで諦め、来年の楽しみにとっておこうと思う。

https://www.bing.com/videos/search?&q=%e4%bc%8a%e8%b1%86+%e6%b2%b3%e6%b4%a5%e6%a1%9c&docid=20816378207731&mid=397B01E930BB2E4DB8E7397B01E930BB2E4DB8E7&view=detail&FORM=VDQVAP&rvsmid=A00EAD03E8A2EDEA1AB4A00EAD03E8A2EDEA1AB4&ajaxhist=0

2人称小説について

これまで多くの小説を読んできたが、小説の人称に関しては、気にかけてたことがない。しかし、小説には、1人称、2人称、3人称で書かれた3種のあることをはじめて知った。それは、今回の芥川賞の受賞作品の井戸川射子「この世の喜び」に関して、平野啓一郎が二人称で描いているという指摘をしているのを読んでのことである。

藤野可織『爪と目』には、日本語的には理解しがたい次のような文章があるという。すなわち、<はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。>という文章。これは、2人称小説として読めば、理解可能であるという。つまり<(父は、)はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって「きみとは結婚できない」と言った。>という風に。

小説は、通常1人称か3人称で書かれ、2人称で書かれるのは稀であるという。1人称小説は、「私が」「僕が」というように登場人物の目線から語られる物語。3人称小説は 「彼女は」「彼が」というように、客観的視点から語られる物語である。2人称小説には、語り手の「わたし」が「あなた」に話しかけるという体裁の小説と、もう一つは「あなた」が主要な作中人物の一人として動き回り、考え込むものがある。また、2人称小説には私が心の中のもう一人の私に語りかけるものもあり、さらに、読者(翻訳者)が勝手にそのように解釈したり(村上春樹の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳)と、とても複雑のようで、まだ理解できないでいる。そのあたりのことは、下記に詳しい。(中井秀明「二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』」>https://nakaii.hatenablog.com/entry

春の南房総を楽しむ

千葉ではまだ朝晩は寒いが、昼間は暖かい日があり、南房総に、海と花を見に出かけた(2月27日―28日、白浜に1泊)。内房の保田海岸からの富士山がくっきりと綺麗に見えた(8162)。そこから少し内陸に入った「佐久間ダム」では、河津桜(ここでは頼朝桜という名称)が満開であった(下記,8228)。途中菜の花も咲いていた(8264)。千倉のお花畑では、ストックやポピーを摘み、矢車草やキンギョソウの苗を購入した(8300)。千倉の穏やかな広い湾内では若者がサーフィンを楽しんでいた(8306)。今回、南房総の保田、館山、白浜、千倉、鴨川、勝浦、御宿(8318)と車で回ったが、それぞれ海岸の趣が違い、楽しめた。