過去の読書体験について

読書、特に小説に関しては、自分の好みの作家のものを読み、なかなか未知の作家の作品を読むことが難しい。ただ、若い時は国語の教科書に載っている作家のものや先生や友人から勧められた本を読むことはすると思う。私の場合、大学3年の時にたまたまポスターを見て参加するようになった『鑿壁読書会』(市川の図書館の読書会)で、月2冊、課題の本(小説)を読み、読書の幅が広がった。

最初に参加した時に取り上げられていた小説が、大江健三郎の「死者の奢り」で、はじめて大江健三郎の小説を読み、そのみずみずしい感性と文体に衝撃を受けた。その会の中心を担っていたK氏ら(「風の便り」の執筆者の辻氏はその時のメンバー)は自らも小説を書き、新しい小説に関心があったようで、そこで取り上げられる作家は、大江の他、安部公房、倉橋由美子など、斬新なものが多かった。それ以前、武者小路実篤、井上靖などしか読んでいなかった私も、おかげで時の最前線の小説を読む機会を得た。

大江健三郎が先日88歳で亡くなったという報に接し、上記を思い出したので、私の大江の読書体験を期しておく。同世代の友人からは「いま大江健三郎の訃報に触れました。私たち青年期に読んだ巨匠が…ショックを受けています」というメールもらい、下記のように返事を返した。

私の場合は、「死者の奢り」や「飼育」「芽むしり仔撃ち」を最初に読んで、その文章と内容のみずみずしさに心を打たれ、すっかり大江ファンになりました。ところがその後の作品で、共感が得られずそこで「挫折」してしまいました。さらに、江藤淳が大江健三郎の小説「個人的体験」の終わり方に二通りのものを用意した(専門家向けと一般向け)ことに対して呆れたと書いていることに共感し、それ以降大江健三郎の小説も文章も読まなくなりました(「ヒロシマノート」も読んでいません)。もう少し冷静に大江健三郎を読んでおけばよかったと、今頃になって思います。