「受けた恩は、きっちり返したい」!

以前に書いた「受けた傷は、きっちりと返したい」といういい方は、舌足らずで、誤解を受けやすい。補足しておきたい。
そこで私が言いたかったのは後段の「このような心情も、時間と共に、忘れ去られことも多い」「長い年月が経つうちその恨みは忘れ、さらにその人に親しみすら感じている自分を発見することがよくある」ということである.

さらに、その裏の側のことを言いたかった。つまり、「受けた恩は、きっちり返したい」ということである。
他人が自分に対して、してくれたことを、すぐ何らかの形で返礼ができればいいが、それができない場合も多い。その場合は、きちんとその恩を覚えておいて、一生をかけても返したいと思う。

ただ、このことは、逆に報恩を期待するということではない。
江戸の昔から、江戸っ子は、地方から出てくる人に、見返りを期待しないで便宜を図ってきた。それが江戸(東京)の文化である。(その文化が利用され、気がついてみれば、東京人が排除されることはよくある。しかし、それは江戸(東京)の文化なのだから、恨んではいけない〈江藤淳〉)

優位に立つものは、劣位にいるものの面倒をみるのは当然で、それに見返りを期待してはいけない。しかし、劣位の時に受けた恩は、将来力を付けた時に返すのが、礼儀である。この礼儀を忘れないようにしたい。

習慣的な欲求について

習慣的な欲求について、考えてみたい。
人には長く生きて来て、習慣化していることがあり、それをしないと、何か居心地が悪く、イライラするということがある。(注)
それが、どのようなものかは、人それぞれである。毎日、散歩する、音楽を聴く、新聞を読む、テレビを見る、本を読む、パソコンに向かう、ペットと遊ぶ、花に水をやる、運動をする、などが思い浮かぶ。(喫煙や飲食、ゲームやパチンコが習慣化している人もいるであろう)

我々大学教員について考えてみると、仕事上、一番習慣化していることは、本を読むことと、そこからいろいろ思索することの2つである。さらに個人的に思索した内容を、表現したり、誰かと議論したりして、さらに深める作業が習慣化している。
したがって、大学教師は一日のうちで、授業や会議が続き、本が読めなかったり、思索の時間がないと、今日は大切なことをし忘れたという居心地の悪さを感じる。
大学教員は、授業や学生への指導で多くの時間が潰れると、早くひとりになり、本を読みたい、と思う。それは、大学教師が読書,思索という習慣的欲求を、仕事上第1に持っているからである。

ところが、大学改革などで、大学教師に要求されることもさまざまになり、また大学教師自身も変わりつつある。読書や思索を第1とは考えられない仕事環境や、読書や思索は好きでない大学教員志望生(学生、院生)も現われている。さらに、大学教員顔負けの読書家や思索家が世に多く、大学教員の特質が薄れている。

(注;このことを、作田啓一は、「習慣が責務の感情をひき起こす場合がある」と表現している。『価値の社会学』岩波書店、1972年、97~8頁)

何かを語るのは、何かを隠す為?

「何かを語るのは、何かを隠す為」という自覚は少しある。
しかし、「やはり、自分のことを語ると、自分の弱点を隠すというよりは、それを晒してしまうことの方が多いかもしれない」と、ブログに関して、人の感想を聞きながら思った。
敵やライバルの弱点を知れば、その人を攻撃したり追い抜いたりするのには役立つかもしれない。しかし、敵やライバルでもなく、さらに他人で、あまり関わりを持ちたくない人の弱点など知りたくもない、と考えるのが人情であろう。

ただ、漫才の面白さは、漫才師らが「いかに自分達はバカか」を、ボケとツッコミという二人の掛け合いで示し、聴衆の優越感をそそることにあると、どこかで読んだことがある。それは関東にはない、関西の文化である。
関西の血が流れている私(父が兵庫出身)には、漫才師の才能はなくても、漫才師の心意気(サービス精神と言ってもよい)が少しあるかもしれないと思うことがある。(しかし、前にも書いたが)、関東でボケてバカを演じると、本当にバカと思われてしまう(ツッコンでくれない)という怖さもある。ツッコミのないボケほど白けるものはない。

学校社会学研究会 無事終わる

毎年夏に宿泊を伴い開催されている「学校社会学研究会」(今年は31年目の31回大会)を、千葉幕張の放送大学セミナーハウスで、放送大学の岡崎氏と私の幹事で開催し、盛会のうちに幕を閉じた。参加者は43名と記録を更新。

2日間で10件の報告があり、それぞれに対して有意義な質疑が、行われた。そのやり取りは、大規模な学会とは違い、和やかなものであり、多くの学びがあり、また研究の励みになるものであった。

私はその前の2日間は、放送大学の修士論文の指導の会にも参加してので、合わせて3泊4日の長丁場であり、体力の限界に挑んだ。

連日夜の親睦会もあり、放送大学の近辺にも美味しい店が何件もあることを発見し、栄養と鋭気を補給しながらの楽しい会であった。
(1日目の夕食は近辺で一番美味しいと言われる中華料理、2日目はお弁当(東北の缶詰付き)、3日目は別の豪華な中華料理(飲み放題付き)、昼食は、2日目お蕎麦屋、3日目放送大学食堂、4日目イタリアンレストランとバライエティに富んでいる。その他、朝食のサンドイッチやモスバーガも美味しかった)

キャバリャ

同じ犬種の犬の顔やその表情は、どうしてこのように似ているのだろう。http://knight.lolipop.jp/29cavaoff/29cavaoff.html
また、その似たところが、かわいく感じるから不思議だ。

犬の散歩をしていて、同じ犬種のキャバリャを連れて散歩している人見ると、親近感を感じて、見知らぬ人でも、つい声をかけたくなる。
キャバリャはあまり人気のある犬種ではないが、少し「ブシャン」で愛嬌があり、おとなしいので飼いやすい。(近くのダイエーのペットショップでは、生後間もないキャバリャの子犬が5万円で売られていた。まだ、大きくなった100円の雑種の子犬(こちらはキャバリャではない)も売れ残っていた)
http://www.pet-coo.com/cgi-bin/index.cgi

昨日は、我が家と隣の家の、2匹のキャバリアのシャンプー。風呂場で、犬用のシャンプーで洗い、ドライヤーをかけるだけなのだが、なかなかその時間が取れず、1か月ぶり。