「東京JAZZ」

知り合いの知り合いの方が、手掛けているNHKの音楽フェスティバルの案内が届いたので、転載させていただく。夏にふさわしい、素敵なイベントのようだ。

【9月の頭に「東京JAZZ」というイベントを手がけております。(9/6金~9/
8日)

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まだまだ暑いこの時期ですが、夏にカレーという感じで、熱いJAZZプレイをお楽しみ頂ければ幸いです。
特に今年は、グラミー賞最年長3冠アーティストのトニー・ベネット、ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのオマーラなど、御歳70後半の偉大なアーティストが出演します。
日本で見ることが出来るのも、年齢を考えると最後となるかもしれません。
9月7日(土)の昼公演以外は、まだ余裕がありますので、もし宜しければJAZZで暑気払いでもどうぞ。
会場の国際フォーラムの外でも、無料の地上ライブ(これもかなり良いメンバーが出演します)、YMAHAの楽器イベント、NHKドーモ君が今回結成した「ドーモ君バンド」のお披露目ライブなど、楽しいイベントが盛りだくさんです。】

「受けた恩は、きっちり返したい」!

以前に書いた「受けた傷は、きっちりと返したい」といういい方は、舌足らずで、誤解を受けやすい。補足しておきたい。
そこで私が言いたかったのは後段の「このような心情も、時間と共に、忘れ去られことも多い」「長い年月が経つうちその恨みは忘れ、さらにその人に親しみすら感じている自分を発見することがよくある」ということである.

さらに、その裏の側のことを言いたかった。つまり、「受けた恩は、きっちり返したい」ということである。
他人が自分に対して、してくれたことを、すぐ何らかの形で返礼ができればいいが、それができない場合も多い。その場合は、きちんとその恩を覚えておいて、一生をかけても返したいと思う。

ただ、このことは、逆に報恩を期待するということではない。
江戸の昔から、江戸っ子は、地方から出てくる人に、見返りを期待しないで便宜を図ってきた。それが江戸(東京)の文化である。(その文化が利用され、気がついてみれば、東京人が排除されることはよくある。しかし、それは江戸(東京)の文化なのだから、恨んではいけない〈江藤淳〉)

優位に立つものは、劣位にいるものの面倒をみるのは当然で、それに見返りを期待してはいけない。しかし、劣位の時に受けた恩は、将来力を付けた時に返すのが、礼儀である。この礼儀を忘れないようにしたい。

習慣的な欲求について

習慣的な欲求について、考えてみたい。
人には長く生きて来て、習慣化していることがあり、それをしないと、何か居心地が悪く、イライラするということがある。(注)
それが、どのようなものかは、人それぞれである。毎日、散歩する、音楽を聴く、新聞を読む、テレビを見る、本を読む、パソコンに向かう、ペットと遊ぶ、花に水をやる、運動をする、などが思い浮かぶ。(喫煙や飲食、ゲームやパチンコが習慣化している人もいるであろう)

我々大学教員について考えてみると、仕事上、一番習慣化していることは、本を読むことと、そこからいろいろ思索することの2つである。さらに個人的に思索した内容を、表現したり、誰かと議論したりして、さらに深める作業が習慣化している。
したがって、大学教師は一日のうちで、授業や会議が続き、本が読めなかったり、思索の時間がないと、今日は大切なことをし忘れたという居心地の悪さを感じる。
大学教員は、授業や学生への指導で多くの時間が潰れると、早くひとりになり、本を読みたい、と思う。それは、大学教師が読書,思索という習慣的欲求を、仕事上第1に持っているからである。

ところが、大学改革などで、大学教師に要求されることもさまざまになり、また大学教師自身も変わりつつある。読書や思索を第1とは考えられない仕事環境や、読書や思索は好きでない大学教員志望生(学生、院生)も現われている。さらに、大学教員顔負けの読書家や思索家が世に多く、大学教員の特質が薄れている。

(注;このことを、作田啓一は、「習慣が責務の感情をひき起こす場合がある」と表現している。『価値の社会学』岩波書店、1972年、97~8頁)