デジタル教科書の導入についての意見

公益財団法人・中央教育研究所所長の水沼文平氏より、下記のメールをいただいたので、ご許可を得て、掲載させていただく。

11月1日掲載の「デジタル教科書に関する大学生の意見」。
「教師用デジタル教科書への賛成率は約4割、児童・生徒用のデジタル教科書への賛成者は3割弱と、後者の賛成率が低い」という結果ですが、20才前後の学生の意見だけに興味深く拝見いたしました。
教育におけるICT化を考えた場合、一般社会と同等、ICT化が学校現場に導入され、普及するのは時間の問題だと思います。
しかし、なんの疑問も持たず判断や計画も立てずにICTを活用しようとしても教育は目標を失い混乱するだけです。
真に求められている学び・学力の本質をしっかりと捉えたうえでICT化という新しい状況に対応していくことが必要です。
初等中等教育においては世界標準の学力テストが重視されていますが、グローバル社会・情報化社会を生き抜くためには、知識・技能・思考・判断・表現だけでなく、学力調査では計測できない非認知能力としての自己認識・意欲・忍耐力・メタ認知・創造性・問題解決の力を培うことも重要になってきます。
文科省は児童用デジタル教科書の導入を検討していますが、上記の視点を踏まえ、十分に調査・検討の上で実施してもらいたいものです。(水沼文平)

アウエイにも関係者が

先日(7日)、アウエイの筑波大学で一人さびしい思いをしたと書いたが、そこにも関係者が一人いた。その方からメールをいただいた。ご活躍を期待する。

<武内先生、
筑波大学メンター会で、お話させて頂き、ありがとう御座いました。敬愛大学の卒業生と致しまして、武内先生の様な方が、母校を支えて頂いてくれると思いますと、本当に嬉しく思います。
私は、昭和62年に卒業、D社に入社、勤続28年。今では、不動産/建設業界では大手ゼネコン/不動産会社を売上、利益で超え、日本一となりました。これも、敬天愛人の心構えが支えとなり、社会人となって、苦しい時でも、心の中で唱えた成果だと思います。
 私は、社会人になり夜間、建築の学校に通い、語学の必要性を感じて、再度、会話語学を学びました。結局、生涯学習が大切だと思います。進んだ道で、ベストを尽くす、一つの仕事でキラリ光る人間になる事が大切だと思います。
 大学の後輩には機会がありましたら、お話したいです。教科書に無い、裏話し等、色々ネタはあります。先生にお会い出来て、光栄です。お身体ご自愛され、益々のご活躍、お祈り申し上げす。(F)>

自分の好みの人への押しつけについて

人にはそれぞれ趣味や好みがあるので、自分の好みなどを人に押し付けるのはなるべく避けなくてはいけない。
そうは言っても、それを人に押し付けてしまうのが人間の性(さが)である。とりわけ(大学)教師という職業にはその傾向があるのであろう。
先日、大学の同期生と「国立歴史民俗博物館」に行ったのは、同期生の一人が大の歴史好きで、それに皆が同調したせいもある。
その見学の後、私が稲毛海浜公園に皆を誘ったのは、私の海好きと花好きを押し付けたところがある。心やさしい同期生はそれを受け入れ、文句ひとつ言わず付き合ってくれたが、海と花に関しては、同期生はあまり喜んでいる風はなく、自分の押しつけを反省した次第。
車で東京に帰る同期生を見送った後、私は菊展に取って返し、家用に菊を二鉢購入した(家でも菊はあまり好まれないので、庭の片隅に置くことになるのだが)自分の好みや趣味は自分だけで楽しめばいいのかもしれない(犬は、気の毒がって、付き合ってくれそうだが、、)

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薩摩の両雄「西郷と大久保」から学ぶ

科学の時代に育ち、非合理的なものはほとんど信じない自分であるが、偶然やありえない遭遇に驚くことがある。運命の糸に導かれてというほど大げさなものではないが、その偶然や遭遇を楽しむのはいいことであろう。

現在特任で勤務している敬愛大学は、その創始者長戸路正政が明治38年にある講演会において西郷隆盛の「敬天愛人」思想に出会い、この「敬天愛人」を建学の精神として学園を創設した。
その西郷隆盛の「敬天愛人」や、西郷の思想や人となりについて、学園の角田叡氏の講演を学生と一緒に聞き、また敬愛大学の創設の本などを読み、歴史に無知な私も西郷隆盛についていろいろ知りたくなった。西郷は人間的にも魅力的な人物だったようである。
そのような中、偶然昨日(8日)、同窓生と佐倉の「国立歴史民俗博物館」に行き、大久保利通の特別展を見て、その幕末の大久保利通が、西郷隆盛とは薩摩で幼な馴染みで、後に政治方針が違い決裂して戦う運命にあったことを知り、その遭遇に少し驚き、この二人のことを知りたくなった。
 インターネットで、大久保利通で検索してみると、さすがに歴史的に有名な人なので、いろいろ出てくる。その中には、<薩摩の両雄「西郷と大久保」>(http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/okubo.htm)というものもあり、興味深い考察もある。(以下、一部転載)このあたりから歴史を学んでいこう。

< 西郷はその人生の中で、しばしば上役や身分の高い人物に対して、「自分が正しいと思うことは、死をも恐れずに思い切って発言する」というような大胆な行動に出ています。これは西郷の人生における一つの行動パターンとなっています。(中略)  
 西郷がこのような行動パターンを取る性格に形成されていったのは、生まれついての正義感などもあるでしょうが、「お由羅騒動」で受けた影響が大きくあると思われます。
「正しいものが処罰され、悪がはびこる」(少なくとも西郷はそう信じていました) 赤山の筋を通した見事な切腹を聞き、血染めの肌着を授けられた西郷は、公に対する憤りというものを強く感じ、権力に対する反抗精神を心の中に植え付けられたことが、西郷が死をも恐れず、思い切ったことを大胆に発言する性格に形成された一つの原因になっているように思われます。
 一方、大久保ですが、彼が「お由羅騒動」で感じ得たことは、西郷とは大きく違っていたと思われます。  大久保はこの騒動において、「権力というものが、いかに強大で、かつ恐ろしいもの」であるかという、権力の本質を悟り、感じたと思われます。
 また、それと同時に権力への憧れというものも同時に感じたものと思われるのです。
「例え正義がこちら側にあったとしても、少数の徒党では組織の権力には絶対にかなわない。事を成し遂げるには、必ず強大な権力を背景としたものが必要となってくる」
 父の遠島や自分の免職謹慎処分で塗炭の苦しみを味わった大久保は、このような思いを抱いたのではないでしょうか。  
実はこのことはまったく西郷とは正反対の感じ方です。   西郷は「権力に対する反抗精神」を感じ、大久保は「権力への憧れ、権力欲」を感じたということは、二人のその後の生き方を理解する上で、非常に重要なポイントとなってきます。>