学生の発表のレベルアップ

敬愛大学での「メディアとこども」の授業では、「子どもの音楽文化」(岩田遵子著)(『消費社会と子ども文化』8章)のグループ発表があった。
なかなか工夫されたレジメ(下記参照)で、さらにパソコンを持ち込んでの、日本のわらべ歌の映像(http://www.nihonwarabeuta.jp/)やアニメ音楽を流すなど、工夫されたいい発表があった。 前の優れた発表に影響され、発表がどんどんレベルアップしている。グループのチームワークもよく、発表者の得意な分野を生かしている。

子どもの音楽文化

道徳教育について

先週は、道徳教育のことを、2つの大学の授業で話した(テキスト冨江英俊「道徳教育」、『子どもと学校』第3章)。道徳教育を特設の授業として行うことや教科とすることに、私は賛成という立場ではないが、教育基本法の改正や新学習指導要領の道徳教育についての箇所はプリントして学生に配り、その内容を説明した。
学生に小中で道徳教育を受けた経験を聞くと、「楽しかった」とか「有意義だった」とかという感想は少ないが、学習指導要領の文言を読ませると、「道徳教育は大切なものだということがわかりました」という意見が多くなる。少し批判的な説明をしても、素直な今の学生は、学習指導要領の「美辞麗句」に惹かれてしまう。それもよしとしよう。
道徳教育に詳しい小学校の先生と話していたら、道徳教育の研究者や現場では、道徳教育の教科化には、反対が多いという。意外だった。

今日、地元でバスに乗ったら、優先席に座り、塾の勉強をしている小学生がいた。彼には、教科の指導より、道徳の指導が必要ではないかと思った。
バスを降りて歩いていたら、前から来た見知らぬ小学生から「こんにちわ」と挨拶をされた。
どちらが、日本の子どもの平均に近いのであろうか。また、この違いに、道徳教育はからんでいるのであろうか。

遊び志向の友人グループ

昔読んだ文献で、アメリカの高校には、「遊び文化」(Fun Subculture)が蔓延し、「遊び文化」の強い高校ほど、IQの高い生徒が、遊びに走り、いい成績をとる率が低いという統計が掲載されていた。
最近、教えているいくつかの大学で、次のような話を学生から聞いた。

自分が仲良くしているグループは、遊び志向の強いグループで、いつも後ろの方の席に陣取り、おしゃべりしながら授業を聞いている。授業中も先生の話を聞くより自分たちのグループでは話している方が多い。先生もあまり注意しないし、楽しいし、そのような状態が続いてきた。
ところが最近になって、こんな状態で行くと、勉強を全くしないで、単位を落とさないまでも、いい成績は取れないし、その科目に結びついている資格が取れなくなるかもしれないと思い始めた。
その仲のよいグループの一員ではいたいけれど、授業の時は、自分だけ前の方の席に行き、授業をきちんと聞くか、グループのメンバーに「授業だけはきちんと聞こうよ。このままで行くとやばいよ」と言いたいと思う。でも、そんなことをしたら、グループのメンバーから何を言われるかわからないし、グループから追い出されるかもしれない。とても悩んでいる、という。
このような悩みは、男子学生より女子学生に多い。女子学生の友人関係は難しいし、そう簡単にアドバイスできない。
「最終的には集団より個だ」、というようなことを、サッカーの本田選手が言っていたようだが、大学生は、もう子どもではないのだから、いつまでも集団でごちゃごちゃしていないで、個として自立しなさい、と本当は言いたい。

ユリの花 

実家(市原市ちはら台)の近所では、ユリも咲き始めた。ここは郊外ということもあって、各家が植木や草花に工夫を凝らしている家が多い。東京のような洗練さはないが、千葉らしい素朴さがある。
 
昨日、民放のテレビを見ていあたら、森田・千葉県知事が出ていた。知事の県自慢に対して、「千葉は田舎ということですね」という出演者のコメントが相次いだ。
なぜ、千葉浦安にあるディズニーランドを、「東京ディズニーランド」といい、「千葉ディズニーランド」と言わないのか、という出演者の突っ込みに対して、知事自ら、「千葉ディズニーランドでは、人が集まらないんだよ」と答え、千葉県民の自意識(ホンネ)の一端を示していた。