大相撲9月場所(国技館)を観戦する

日本の伝統的な芸能やスポーツを見に行く機会は、あまりないように思う。少なくても私の場合はそうだ。
その理由は、戦後は西洋の芸能やスポーツの方が手軽に接しやすいということであろう。日本的なものは接する機会が少なく、それに実際接するとなると金額がかなり高い。したがって、日本的なものは庶民のものというよりは、上流階級のものになっている。それは、能や歌舞伎のことを考えればすぐわかる。
学校教育がその階級差を縮めようと、子どもたちをそのような場に、連れ出すことはある。自分の経験では、千代田区の区立中学に通っていた時、場所は皇居だと思うが、雅楽の演奏の鑑賞というものがあった。雅楽を聴いたのは、後にも先にもこの時だけだったように思う(結婚式で一度あったかもしれないが)。
相撲は、奈良時代から続いている日本固有のスポ―ツで、テレビでは見ることはあるが、実際の相撲を見る機会はほとんどない。
昨日(13日)、近所の人が国技館での9月場所の相撲の升席に行くのを誘ってくれて、相撲観戦という貴重な体験をした(この前に観たのは5年前)。
今場所は、横綱や大関の休場が多く、人気の力士が少なく、どんな雰囲気なのかと心配したが、大入り満員で、日頃はあまり注目されない若い力士やベテランの力士の取り組みに熱い声援が飛び、大変な盛り上がりであった。
相撲の方は、古くからの伝統ののっとり、150キロから200キロ近い人が、ぶつかり、必死に闘う様子は、迫力があった。
力士の出身やこれまでの経歴を書いたパンフレットみて、同じ横綱でも通算成績は白鵬1050勝219敗,日馬富士816勝437敗、稀勢の里785勝471敗,鶴竜680勝454敗とかなり差があることを知った。同じ関脇でも、579勝547敗と千回以上土俵に上がっているもの(嘉風)にいれば、127勝80敗と200回ほどのもの(御嶽海)もいる。出身地は、モンゴルが多いが、アメリカも何人かいて、日本国内では、東北と大阪、それに関東が多いように思った(実際の出身地は違うかもしれない)。  
若い力士が、上位の力士や横綱や大関に勝つ勝負がいくつもあり、上位の力士は、若手の追い上げで大変だなと、同情を禁じ得なかった。
観客に外人(西洋人)の姿や、小学生の団体の観戦(修学旅行かもしれない)もあったが、平日の昼間に高い入場料を払い相撲を見に来る人は、どのような人なのかと思った。女性も多い。若い人はあまりいないが、さまざまな年齢の人、さまざまな職業の人がいるという感じであった。
大変な贅沢な時間を過ごさせさせてもらった。

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友人考   水沼文平

私のこのブログはコメントもできず(よく調べるとできる)、カウントも付いていないので、私のメモ(日記)状態だが、読んでコメントをメールで送って下さる方がたまにいる。私にとってはとてもありがたく、掲載をお願いすることもある。ブログを読んで下さる数少ない「友人」のひとりの水沼さんより、「友人関係について」のコメントをいただいた。了解を得て、掲載させていただく(武内)。

先生の8月15日掲載の「友人関係について」に関連して私も「私の友人考」を書いて
みました。
故郷仙台に戻り一年、途絶えていた同級生との付き合いが再開しています。中には小
学校以来60年振りというものもありました。男子でも女子でも、じっと顔を見ると、
どこかに子どもの頃の面影が残っているものです。そして自然に「~ちゃん」という
名前が出てきます。悪ガキだった私にも親愛の情を示してくれます。友だちとはいい
ものだとつくづくと思います。
さて、吉田兼好の徒然草(第百十七段)の「よき友三つあり」に「一つには、物くる
る友。二つには医師(くすし)。三つには、知恵ある友」とあります。鎌倉末期とい
う時代考証が必要でしょうが、庵(いおり)暮らしの兼好にとって、米、野菜、味噌
などの食べ物、高価な薬、自分の知らない知識などは喉から手がでるほど欲しいもの
だったことでしょう。
私なりに現代的に解釈すると、「物くるる友」は、電話やメールをくれる友、一緒に
勉強や旅行をしてくれる友。「医師」は身近に身体や心の不安を聞いてくれる友(医
者、看護師)。「知恵ある友」はコンピュータ技術や人生の在り方、生き死に、良書
を教えてくれる友、となります。
私はこれに「己を知る友」を加えたいと思います。中国戦国時代の予譲の「士は己を
知る者の為に死す」は、「男子たるもの、自分の真価を認めてくれる人のためには、
命を投げ出してでも応えるもの」という意味です。秦の始皇帝の暗殺を試みた荊軻も
そうでした。このような過激な生き方でなくても、自分の生き方を理解し評価してく
れる友がいることほど心強いものはありません。人とは所詮孤独な存在、いつかは果
てる命、そんな中で心の結び付きを確認できる友の存在は何にも代えがたいものだと
思います。
「竹馬の友」という言葉がありますが、広辞苑の逆引きで調べたら、「会心の友、心
の友、心腹の友、竹馬の友、莫逆の友、方外の友、忘年の友、メル友」などが出てき
ました。私はこれらの言葉に「あの世の友」を加えたいと思います。このところ立て
続けに同級生が三名亡くなりました。飲んでいて友人の一人が上を指さし「ほら〇〇
君が来ているぞ」と言ったりします。そして〇〇君を加えた昔話に花を咲かせます。
(水沼文平)

クワガタをもらう

隣のうちから、オオクワガタと飼育セットをもらった。
飼育かご、マット(飼育用土)、止まり木、飼育ゼリー、霧吹きなど。クワガタの飼育もかなり大変そう。
子ども(孫)達は、「自動的に動くオモチャ」(?)に、興味津々。
(追記、飼育かごの上の蓋を自分でこじ開けて脱走を図り、部屋の隅で半日後に発見されるということがあった。かなりの力持ち)

ネットでいろいろ調べる(下記)。クワガタの飼い方
<マットはクワガタがもぐれるように5センチ以上の深さにします。マットで重要なのは適度な湿り気です。飼育中にもマットが乾燥してきたら霧吹きなどで水分を補給してください。とまり木やエサなどを用意する。クワガタのエサは基本的にクワガタ用ゼリーを使います。他に水分の少ないりんごやバナナなどの果物も食べます.ひっくり返った時に捕まることができるよう、止り木を入れておくと良いでしょう。温度管理をしっかりと。あまり暑くならない場所に飼育ケースを置くようにしましょう>(https://petr.jp/kuwagata-shiiku-2679)
<クワガタの中でも特に長命なコクワガタやオオクワガタは、成虫で2~3度越冬することがあります.長く生きられるように世話するようにしましょう。>

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加害者意識、被害者意識について

人から傷つけられたことは長く覚えているが、人を傷つけたことは自覚すらない、ないしすぐ忘れてしまう傾向がある。
個人次元では、教師の立場でも気を付けなければいけないことが多い。教師の何気ない言動が児童生徒や学生を傷つけていることはあるように思う。
私の体験では、最初に勤めた大学の時であるが、ひとりの卒業生が数年後に訪ねてきて「あの時の先生はどのようなつもりだったのですか。私は深く傷つきました。その理由を今日は聞きにきました」と、返答次第ではただで済まないという剣幕で問い詰められたことがある。卒業後数年間、彼はその傷、恨みを引きずっていたのであろう。私としてはその場面は全く記憶になく,ただ彼のことは気安く話せる学生として思って、冗談を言ったりしたことはよくある学生という覚えはあった。私にとっては親しみや冗談のつもりだったが、その学生にとっては苦痛だったのであろう。そのことに私は全く気がつかず、彼は傷ついたのであろう。同様なことを、数多くしてきたかもしれないと反省はした。

このことは、個人間のことだけでなく、国家間のことでもいえる。
日本が戦前、朝鮮半島でした数々の加害(朝鮮占領時の支配や従軍慰安婦問題)や戦後における朝鮮戦争で日本が得た特需など、朝鮮の人々が日本人に対して被害意識を持っていて、日本および日本人を恨む気持ちはなかなか消えない。加害者の日本人は、そのことの自覚は薄く、あってもほとんど忘れている。
朝鮮戦争で南北の人が多く戦死し(特に保導連盟事件による共産主義者の大虐殺のことは多くの日本人は知らない、と藤原新也は述べている)、その戦争の特需で日本の経済が潤い、日本人はのうのうと暮らしていることへの朝鮮の人の恨みは相当深い、と藤原は自分の旅行体験からも書いている。今の北朝鮮の核問題は、このような歴史的心性を抜きに語れない。

いずれにしろ、加害、被害は双方で認識が違うので、加害者の側は被害者の立場に立ち、きちんと対処する必要があるだろう。

蕎麦屋談義

蕎麦の店の話に関連して、いろいろ蕎麦の美味しい店やそれに関連したことをI氏が寄せてくれて、蕎麦屋談議を楽しんだ。
I氏
四谷は昔、蕎麦の産地だったとか。政吉は行かれたことありますか?http://getnavi.jp/cuisine/41685/
首都圏の安価で美味いそば巡りは「立ちそば放浪記」
長野市だと、長野駅近くの長野バスターミナルに入っている蕎麦屋がうまいと現地人に聞いたことがある。「草笛」 http://www.kusabue.co.jp/
(下記も評判が高い)
中軽井沢駅前「かぎもとや」(http://www.kagimotoya.co.jp/
鹿教湯温泉の「辰巳屋」http://www.jalan.net/gourmet/grm_foomoojH000300477/


いろいろ情報ありがとうございます。四谷の「政吉」は新道に入る前の立ちそばですね。そんな有名な店とは知らず、何度か入り安くて,美味しいと思っていました。
中軽井沢駅前「かぎもとや」は、この前中軽井沢に行った時入ろうかと考え店ですが、食べログの評価だと3.5と中野屋と同じですね。そのコメントに下記のものがありました。
< 軽井沢方面で蕎麦屋を探していました。評価を高い順にルートと照合しながらここに絞り込みました。注文はセットメニューのもみじ、1600円蕎麦と天ぷらととん汁のセット。奥で手打ちをしている旦那が良い音たてて蕎麦を刻んでいました。意外と早く蕎麦が出てきました。蕎麦は平たい形状、天ぷらは大葉とえび、なすえのき、ニンジン?サヤエンドウ?とん汁は大根、里芋がゴロゴロ入っています。と、そこまでは良好でした。いざ食してみると、蕎麦は太すぎるのでイマイチ喉ごしが良くない。天ぷらは揚げかたが雑な感じ山菜とかならえのき→舞茸ぐらいにニンジンの輪切りの天ぷらは揚がりきってないから?かなり固め?エビの衣は付けすぎで分離とん汁に至っては、大根固い!もう少し煮込んで欲しいなぁ~つけ汁や蕎麦湯なんかは美味しいのに~おそらく評価がついて人気店になり祝日は人手が足りないくらいで回らないんだなぁそこに来て質が落ちたんじゃない?かなぁ?>
これと同じことを、越後湯沢の評判の店で味わいました。多くの人が並んでいて蕎麦が出てくるまでに、1時間半かかりました。蕎麦はあまり冷えていなくて、天婦羅の衣はもったりとしていて、がっかりでした。それで、ネットの評価は,あてにならないと思いました。

I氏
<中軽井沢の「かぎもとや」は創業明治3年とのことで、それだけ長く持っているのだから、それなりのことはあろうかと思ったのですが、老舗に胡坐をかいての口なのかもしれませんね。「祝日は人手が足りないくらいで回らない」とありますから、平日なら違うのかも知れませんし。食通ならいざ知らず、一般人の舌はまったく当てにならず(店の雰囲気や宣伝に大きく左右される)、また、店の状況や、客が行った時の状況(腹の好き具合、せっかく遠くまで来て大枚はたいたのだから、美味しいに違いない/美味しく感じたい、という脳内補正、など)も相俟って、客観的評価は至難ですね。
食べログの評価自体も当てにならず(一部の店は、サイトに金を支払って評価を上げてもらっているという説も有力)、また、客の評価も場合によってはかなり不当なので(味は申し分なくても、高すぎる/行った時の客層が悪かった、など別の要因を重視して評価を下げる、など)、結局は自分の舌と、比較的感性が近い人の評価によるしかないでしょう。
とりあえず、長野はすぐには行かずとも、「立ちそば放浪記」掲載店舗や、四谷の政吉あたりは行く機会もあるかと思いますので、御参考に、ということで。>