加害者意識、被害者意識について

人から傷つけられたことは長く覚えているが、人を傷つけたことは自覚すらない、ないしすぐ忘れてしまう傾向がある。
個人次元では、教師の立場でも気を付けなければいけないことが多い。教師の何気ない言動が児童生徒や学生を傷つけていることはあるように思う。
私の体験では、最初に勤めた大学の時であるが、ひとりの卒業生が数年後に訪ねてきて「あの時の先生はどのようなつもりだったのですか。私は深く傷つきました。その理由を今日は聞きにきました」と、返答次第ではただで済まないという剣幕で問い詰められたことがある。卒業後数年間、彼はその傷、恨みを引きずっていたのであろう。私としてはその場面は全く記憶になく,ただ彼のことは気安く話せる学生として思って、冗談を言ったりしたことはよくある学生という覚えはあった。私にとっては親しみや冗談のつもりだったが、その学生にとっては苦痛だったのであろう。そのことに私は全く気がつかず、彼は傷ついたのであろう。同様なことを、数多くしてきたかもしれないと反省はした。

このことは、個人間のことだけでなく、国家間のことでもいえる。
日本が戦前、朝鮮半島でした数々の加害(朝鮮占領時の支配や従軍慰安婦問題)や戦後における朝鮮戦争で日本が得た特需など、朝鮮の人々が日本人に対して被害意識を持っていて、日本および日本人を恨む気持ちはなかなか消えない。加害者の日本人は、そのことの自覚は薄く、あってもほとんど忘れている。
朝鮮戦争で南北の人が多く戦死し(特に保導連盟事件による共産主義者の大虐殺のことは多くの日本人は知らない、と藤原新也は述べている)、その戦争の特需で日本の経済が潤い、日本人はのうのうと暮らしていることへの朝鮮の人の恨みは相当深い、と藤原は自分の旅行体験からも書いている。今の北朝鮮の核問題は、このような歴史的心性を抜きに語れない。

いずれにしろ、加害、被害は双方で認識が違うので、加害者の側は被害者の立場に立ち、きちんと対処する必要があるだろう。