国境を超えるサブ・カルチャ-同士の連携

国による違いというのは面白く、他国のことを知ることは自分の国を知るのに役立つが、それとは別に、比較した国同士の共通性もある場合も多い。それは、地域的な同一性(ヨーロッパ、アジア、アラブなど)や近代化の程度などによる。
さらに、国の違いよりも、社会的属性やそのサブ・カルチャー(下位文化)の同一性にも注目したい。 例えば、世代、ジェンダー、階級(上流階級、労働者階級)、知識人、専門など。国が違っても、同じ属性の者同士は同じような考え方や価値観の持ち主であることが多い。その連携、連帯は重要である。

そのことを社会学者の杉本良夫は、オーストラリアと日本の関係で、次のように書いている。

<私たちは「文化」というと国家単位の文化を想像することが多い。その結果、各国のサブ・カルチャー同士の国際的共通性が見落とされがちになる。日本国内には、女性文化、若者文化、ブルーカラー文化、中小企業文化、マイノリティ―文化など、多種多様のサブ・カルチャーが存在する。オーストラリアでも事情は変わらない。そういうサブ・カルチャー同士の国際比較をやってみると、その類似性に目を見はらされる。そうだとすれば、国境を超えるサブ・カルチャ同士の共通性を基礎にして、その間のつながりを探していくこともできるのではないだろうか。>
(『オーストラリア6000日』岩波新書、1991年、202頁)
<オーストラリアの不動産業者や開発業者たちは、日本の同業者と手を組んで、両国とも同じようなスタイルの環境破壊や住民の生活妨害をするということがよくある。各国のエリートたちは、国益擁護の名において、国内における自らの階層の利益を擁護することが多い>(同、199頁)
<今日の日豪関係の一番大きな問題は、普通の市民同士のレベルでの相互理解の会が少ないことにある。日豪のビジネスマンや官僚がお互いにきめ細かい連絡を取り合っているのに対して、草の根の交流は微々たるものでしかない>(同、207頁)

今どきの若者の特質-文字に親近感

少し必要があって、今どきの若者の特質を調べている。今日(23日)、目に付いたものが2つ(新聞とネット)あり、記録に残す。

1 若者の文字消費「有史以来の量」 SNSが社交性育む 
(朝日新聞 2017年9月22日 )

 「SNSの普及に伴い、相手を尊重し、他人の目に自分がどう映るかを気にする人が増えた。コミュニケーション能力が飛躍的に高まったともいえる」。国語に関する世論調査の結果について、東京大学大学院の橋元良明教授(コミュニケーション論)は、そう分析する。
 調査では、「言葉に表して伝え合う」を重視する割合が半数を超えた。「ネットやSNSを重視すると実社会での人間関係が希薄になるとのイメージを抱く人もいるが、実態は違う」と橋元教授。1995年から続ける研究では、SNSの発達に伴い文字に触れ、使う時間が年々増えており、「新聞など紙媒体の活字を読む機会は減ったが、若者の文字消費量は有史以来最高のレベル」と指摘する。」

2 若者がよく使うSNSのトレンドは文字からビジュアルへ
(電通総研メディアイノベーション研究部 ttps://dentsu-ho.com/articles/3542)

<今のスマホユーザーは、画像を送ってコミュニケーションを図ることも増えていて、言葉ではなくビジュアルによって現在の状況、その場の雰囲気、自分の気持ちなどを伝えています。>
<写真を見ながら写真によってリテラルコミュニケーション(文字によるコミュニケーション)が連鎖するということが頻繁に起こっている>
<Picseeでは、ビジュアルありきのリテラルコミュニケーションのかたちがあるんだという点が発見でした>
<今の若者は周りからの見られ方を極端に意識して真の感情を語らないことが特徴の一つですが、その日何を感じたなどの自分の内面を記述することはせず、行動のログをビジュアルで示して、自分らしさを表現するというかたちが目立ってきている。>
<手軽に写真や動画を送ったり受け取ったりできる情報テクノロジーと、ユーザー側の心理の変化が絡み合い、若年層スマホユーザーを中心に確実にリテラルコミュニケーションからビジュアルコミュニケーションへのシフトが起こっている。また、スマホユーザーにとってはリテラルコミュニケーションやビジュアルコミュニケーションが区別されなくなっている面もあ(る)。今起こっているのは絵と文字とが一致していくという意味で「絵文一致」と呼べるような、新しいコミュニケーションの統合の形ではないでしょうか。>
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 上記の指摘が正しいとすると、今の若者がスマホを頻繁に使うことや写真を動画を送ることから、① 文字に以前より接するようになっていること、② 写真や動画と文字(リテラルコミュニケーション)が連動している。したがって、若者の読書離れは言われながら、文字への親近性は以前以上に増していることがわかる。

老後の過ごし方

 先日(9月18日)敬老の日があり、日本の人口の26%以上が65歳以上という報道もあり、高齢化社会であることを再度確認した。
私の住んでいる地区(千葉市稲毛区)も高齢者が多く、近所でバスに乗ると老人ばかりのような気がする。近くの会員制のスポーツクラブに行く(私の場合はテニスを月に2回ほどやるだけだが)と、スタッフは若い人達でお客(会員)はほとんど高齢者で、ここは老人ホームかと思う。特に昼間はそうである。
先週日曜日(17日)「卓球愛好会」の練習に顔を出したら(そこも高齢者が多い)、そこに近くの中学校の卓球部員の女子3人が来ていて、メンバーの高齢者はいつになく嬉しそうで張り切っていた。「近頃の中学校は粋なことをする。敬老の日が近いので老人たちの集まりに、中学生を派遣したのか」と思い、思わず中学生に尋ねてしまった。敬老の為ではないと言っていたが、本当の意図はわからない。

老後の過ごし方は難しい。
55歳の人が老後の過ごし方に関するブログを書いている。なかなか辛辣なことも書きながら、処方箋も具体的に示していて、参考になる。(一部、転記する)

<早くも55歳になってしまいました。学歴もなく頭も特別のスキルも持ち合わせていないミドルの自分が、日々楽しく充実した人生を歩むための様々な問題解決策やコツ、さらにはミドル視点において感じた事などを綴ります>

<真面目に働き続けた人が、年金暮らしを楽しめるのは、せいぜい始めの1年程度であるとの事実も散見される。当初は自由な時間を謳歌することができるものの、次第にそれにも飽きてしまう。とりあえず生活はできるが、することがないというのだ。朝食事をとると、カフェに行きそこでボーッとして時間を過ごす。そして昼に一度家に帰り、食事をしたら、次は公園にいってボーッとして夕方を待つ。実際にカフェや公園で、このようなご老人を見かけることがあるが、皆楽しそうには見えない。これはどなたの老後にも起こりうる現実である。そして、だからこそ今、考えておくべきである。老後の過ごし方を>
http://55-years-old-blog.hatenablog.com/