「推し」の時代

「推し」に関して、以前に宇佐美リン『推し、燃ゆ』の言葉を引用して、片思いや人との距離のことを書いたことがある(2021年3月6日、7月23日)。評論家の中森明夫氏に対する「推し」に関する朝日新聞のインタビュー記事では、別の側面(利他的, 未来志向、仮想空間、)を指摘している。一部を転載する。

<応援するアイドルやキャラクターを指す「推し」という言葉を様々な場所で聞く。老いも若きも「推し活」にいそしむ時代だ。/「選抜総選挙」(2009~18年)が社会現象になったAKB48のファンの間でしきりに使われたことが大きい。アイドルを応援することがカジュアル化した。/  推す主体はファン側にありながら、フォーカスが当たるのは推されるアイドル側。ファン側を指すおたくやマニアとはそこも違う。/ (2010年代のアイドル、AKB48や乃木坂46は)、歌詞の中では、一人称の「僕」が多用される。アイドルが男性ファンの視点から歌う「仮想空間」では一体化し、同じ方向を向いている。現在のアイドルシーンにおいては、ファンは推しの背後に回って、相手の推進力になりたい、という。/ 「自分ではない何か」のために活動することが自分の生きがいになるというムードが出てきている。利己的な時代から利他的な時代になってきている。/大変な状況に置かれているからこそ、人を助けたい、あるいは、人を助けることで自分が生きられる、ということがある。/ さらに、推しを持つからこそ、大事なこともある。それは想像力。推しとファンが一体化できるのは、仮想空間においてだ。/自分がいなくなっても推しにもっとよくなって欲しいと思う。推しを持つことは、未来につながること(になる)>(朝日新聞朝刊2024年1月17日)