柄谷行人の回顧記事

哲学者の柄谷行人の回顧記事(朝日新聞2024年1月10日朝刊)に興味を惹かれた箇所があった。その部分を抜き出しておく。①法政大学では抽選で在外研究者が決まる。②柄谷行人は江藤淳と親しかった。③海外の客員教授になる方法などである。

<74年の秋、法政大学の門のところで、同僚の河野徹さん(英文学者)から呼び止められて、『これから在外研究のくじ引きがあるけど、行かないの?』って。/一緒にくじを引きに行った。それまで在外研究なんて特に考えたことはなかった。何と、僕と河野さんの2人だけがくじに当たったんです。/受け入れ先の大学は自分で探さないといけないので、江藤淳に会ったときに、相談してみた。江藤さんは、『じゃあ、近々、日本にイエール大学教授のマクレランが来るから、紹介する』といってくれた。/ そのマクレランと会ったところ、話がはずみました。彼は、母親が日本人で、自分も神戸育ちだから、日本語ができる上に関西弁なんだ。彼は、おそらく江藤さんが予想していた以上に僕を評価してくれた(笑)。それで気がついたら、彼の手配で、イエール大の客員教授として、日本文学を教えることになっていました。/「急きょ、近代日本文学の研究を始めることになった。一応文芸評論家でしたから。/ そうして授業のために用意した草稿が、『風景の発見』や『内面の発見』のような論考の原型となったのです。そして、それらをもとにして書いたのが『日本近代文学の起源』という本です。*>

(*【日本近代文学の起源】1980年に刊行。日本の精神史の常識を批判検証。90年代以降、英語、ドイツ語、中国語、韓国語などに翻訳された。)

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15834513.html