教育社会学と教職

教職の授業で、教育に関する抽象的な話ばかりでは教員を目指す学士に申し訳ないと思い、私でも実践的な本やパンフレットを読んで、学生に紹介することはある。
それはあまり教育社会学的なものとはいえず、私が紹介する意味があるのかと思わないでもないが、教職に就くのに役立ちそうだだし、また現場での実践にも役立ちそうなので、少しは取り上げてもいいのかもしれないと思う。(今度、授業で配布する資料を、添付する)
教職科目の中で教育社会学は軽視され、教育社会学は危機にある、という話を聞く。「教職大学院教育においてこそ教育社会学が蓄積してきたものが活かされなくてはならない。それを具体的に示すことが私たちの仕事」と、後輩の教育社会学の研究者が年賀状に書いてきたが、学部教育の教職の授業で、教育社会学はどのように役立っているのであろうか。

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半世紀前と今は同じ時代的雰囲気?

今から60年も前になるが、大学生の頃、東京外語の仏文の学生だった友人から「ラディゲは読んだ方がいいよ」と言われたことがある。読んだがどうか覚えていないが、バタイユなどの名前と同時に、その頃の先の見えない閉塞感の時代の憂鬱にぴったりの作家・作品という印象が残っている。
今の時代は、若い人にとってその頃と同じような、先行きが見えない閉塞感に充ちた時代なのであろうか。
ラディゲの本の紹介を新聞で読んで、昔を思い出し、今の若者の先行きを考える。(朝日新聞より一部転載)

理不尽な世界に必要なリアル
  物語の舞台は、初めての世界大戦に揺れる1917年のパリだ。15歳の「僕」は、美貌(びぼう)の人妻マルトと禁断の恋に落ちてしまう。マルトの夫は従軍していてずーっと留守なのだ。
 街のあちこちで、銃後の人々が、異様な高揚感と非日常感に浮かされる日々を送っている。そんな時代の空気に押され、子供と女は刹那(せつな)的な情事をひたすら繰りかえす。「すべてがその場かぎりのことだという気持ちが、妖しい香りのように僕の官能を刺激していた」。
 その昔、フランス革命の勃発が文学を庶民の娯楽に変えたように、世界大戦の始まりも、文学の意味を決定的に変えたと。 世界はかつてない大混乱に襲われたのだ! 若者にしたら、良いことをしても報われず、努力をしても大きな力になぎ倒されて、理不尽に死ぬだけ! そんなひどい時代に生きるしかないとき、勧善懲悪の物語(ロマン)や、少年が周囲に助けられて大人になる成長小説なんて……いやー、読んでらんないですよねー……。それより、戦争に翻弄されてなすすべもない人々のリアルや、混乱の中で成長や成熟ができずに苦しむ若者のお話のほうが、魂に必要とされただろう。
 そして、その魂の問題は、いまを生きる我々のリアリティーにも繋がっている。あれきりずっと、世界は理不尽だからだ。(桜庭一樹が読む レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」  朝日新聞 2018年1月14日)