夏の終わり

今日は8月31日で、夏休みも今日までという学校も多いであろう。8月が終わると、夏の終わり、夏休みの終わりと感じて、少しさびしい。
今年の夏は雨の日が多く、日照時間も少なかったので、野菜が健全に生育しなかったと聞くが、例年夏を彩る朝顔の花も、少ししか咲かない。
私の場合、今年は海には少し行ったが、高原に行く機会を逸してしまい、夏を不消化のまま終わりそうである。
ただ、大学は9月末まで夏休みなので、これから何かできそうな気もする.
それにしても、大学の夏休みは少し長すぎる気がする。上智にいた時、9月中が休みで、教員も学生も9月に航空券が安い海外に出かける人が多く、それはいいと感じたが、今は学生で海外に行く人も少なくなり、長い夏休みのメリットはあまりないと思う。秋学期の休日に授業をやるくらいだったら、9月に早めに授業をやった方がいいように思う。

IMG_7216

IMG_7217

IMG_7344

夏の終わりを味わうために、2年前にも聴いた吉田拓郎の「夏休み」を聴いてみた。

関西にいるT氏より下記のコメントをいただいた.
「今年の夏は雨が多く、気温もそんなに高くなかった」ということですが、これは関東や東北だけの話かと思います。関西は「ほぼ平年通りの夏」でした。朝のワイドショーでコメンテーターが「今年の夏は涼しくて・・」とか言うと、とても違和感があります。

大学の課外活動の単位化について

組織や集団にはフォーマルとインフォーマルの2側面があり、さらにその中間にセミフォーマルな側面がある。
学校の場合、勉強がフォーマル、部活動がセミフォーマル、友人関係がインフォーマルである。児童・生徒たちは、この3つの側面から学んでいる。
生徒の社会的地位は、それぞれを評価して、たとえば5-3-2のように付けることができる。この生徒の場合は、勉強はできるが(5)、部活動の活躍はほどほどで(3)、友人からは人気がない(2)。

大学においても、この3側面(勉強―部活・サークル活動―友人関係)は大事で、このすべてに打ち込んでいる学生の大学生活全体に対する満足度が高い。大学は一種のコミュニティであり、勉強だけでなく、部活・サークルや友人関係からも多くのことが得られるからである。
今、大学における課外活動(部活動やサークル活動、ボランティア活動等)を、単位化して、卒業単位に組み込んではどうかという考えがあると聞く。
学生の実質的な学び、コミュニティとしての大学という観点から言えば、それも妥当な考えのように思える。しかし、いくつか、しっくりこない側面もある。
第1に、高い授業料を大学に払って、教員から教わることなく、自分たちの自主的活動で単位を与えられるというのは損な気がする。(その分、授業料が安くなるのであればよいが)
第2に、大学は「学問の府」であり、学問(勉強)のためにつくられた制度・組織である。そこで、学問と関係のない活動が広がるのは、本末転倒である。
ただ、学生消費者の時代になり、大学に入学してくる学生が、何を大学に求めているのかも考慮しなくてはならないので、ことは複雑である。