学生のグループ発表(その3)

敬愛の2年ゼミのグループ発表では、「大学生のキャンパスライフ」という発表が、21日にあった。
そこでは、大学生の類型(タイプ)、独自の調査、大学生の言葉、自分の一日という4つの発表があった。
大学生の類型(タイプ)は、ヤンキー大学生、フリーター大学生という名称もあって、そのネイミングの巧みさに感心した。
それぞれの発表(プレゼン)に対して、盛んに突っ込みやヤジが飛び、それに対して素早い回答があり、そのやり取りを聞いていると、可笑しく。時間の経つのも忘れるほどであった。これはゼミのメンバーが男ばかりで、親しい関係のものばかりということもあり、かなり遠慮のない突っ込みもありながら(たとえば、「そんな話もういいよ!」)傷つく様子もない。学生の発表能力(プレゼン能力)の高さも感じた。

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ウインター イルミネーション

東京ではクリスマスや冬のイルミネーションが豪華で綺麗なところがテレビで報じられている。千葉から東京に出て行く機会がほとんどなくなり、都会の夜の絢爛さを見る機会がなくなり、仕方なく(?)、昨日(22日)千葉の「田舎」に車を走らせた。うちから約40分で房総半島の真ん中より少し上にある「東京ドイツ村」(http://www.t-doitsumura.co.jp/special_event/)に着く。そこのウインター イルミネーションは有名で、混雑することでも有名である。昨日は拍子抜けするほど空いていて、きれいなイルミネーションを堪能できた。今、いろいろなところに冬の光の飾りつけがあり、わざわざ遠くまでいかなくてもいいのかもしれない。

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同世代―吉田拓郎

吉田拓郎は同世代ということで、その曲を昔からよく聴いていた。娘たちからは「よくそんな古い歌を聴いているね」と軽蔑されながら。
今日はNHKの番組で、最近やった首都圏のツアーの様子が流れるというので、早速録画の予約をした。
先ほどその予告のインタビュー番組があり、その中でリハーサルの様子が流れていた。それを聴くと昔と何か違う。吉田拓郎が旬な時の放埓さや野放図さが消えていると感じた。拓郎も70 歳になったというから、それは当たり前なのだが、少しさびしい。(ただライブの様子を見ると、昔と変わらないのかもしれないが。)
歳を取り、昔の旬な時のものを再現するのが難しい。それは音楽に限らないであろう。同世代の人間として、他人事でなく、いろいろ身につまされる。

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(藤原新也は同世代ながら、元気、意気軒昂である。新しい小説まで書き、歌をうたい、世の動向に歯に衣を着せぬ発言をしている)img_20161223_0004

 

「学校教育の組織と文化」(要約レジメ)

今年の後期に非常勤で教えている植草学園大学の授業(「学校教育制度概論」)では、高野良子・武内清編『教育の基礎と展開』(学文社、2016)を使い、受講の学生に1章ずつ、発表をさせている。
昨日(22日)は、私の書いた「学校教育の組織と文化」の章(7章)がテキストで、担当の二人の学生は、なかなかいいレジメを作成して、発表してくれた。
私の書いた内容が的確に要約されている。ただ、その先の発表者のコメント、それに基づく討論というところまでいかないのが残念なところだ。なぜ、テキストの要約だけで終わってしまって、その先の批判的検討、討論へとつながっていかないのであろうか。不思議だ。

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ブログの切り取り、それへのコメント

私のこのページ(ブログ)は、読んだ人からのコメントも「いいね」もない。その為発信する側としては大変気楽に好き勝手に書いているが、時々誰かに読んでほしくなり、その一部をコピーし、授業で学生に配布することがある。
教師の愚痴のような文章を読む気もおきない、というような雰囲気が教室に充満するが、そこは講義者の特権で、無理やり読ませて感想を書かせるということを時々する。ただ、そのコメントを読むと学生は当たりさわりのないことをさらっと書き、肩すかしを食うことが多い。(以下に最近の例を示す)

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