彼岸花について

彼岸花は少し気になる花である。千葉の道端に時々咲いている。埼玉の新都心のはずれにも咲いていた(こちらは人工的に植えられていて、少し場違い)。
彼岸花について、藤原新也の次のようなコメントを読んだ。第1に、彼岸花が似合う風景が今少なくなっている。第2に、彼岸花が美しいのは1日だけ、それも短時間である。旬な時はあっという間に過ぎ、色褪せる。それは彼岸花自体の毒による。第3に、彼岸花のように、美しさや才能がありながら、自分の毒によりそれを枯らしている人がいる。(この喩えに感心した。周囲に思い当たる人、気を付けてほしい人がたくさんいる)

日本教育社会学会65回大会(9月21日、22日)に参加する

日本教育社会学会の大会(年に1回開かれる)は、自分は大学院の修士課程の時から、毎年出ているので、今回の埼玉大学の大会への参加で、もう40回以上の参加となる。
 学会は、それぞれの分野の最前線の内容の発表があるので、大変勉強になる(それだけ、日頃自分は不勉強ということであるが)。それと、日頃離れていて会うことが出来ない人に、久しぶりに会い、話すことができる。さらに、新しい出会いもある。これだけの効用があるので、万端を廃して、出席するようにしている。
 学会参加への姿勢は人によってさまざまのような気がする。第1は、自分の専門を中心にしながらも、関連する発表を聞き、新しい知識を学ぼうとする人。これが一般的。第2は、自分の研究分野の発表のみを聞き、それ以外は聞こうとしない人。研究関心が狭いのか、高度なのか不明。第3は、学会は自分の研究の発表の場と考え、自分の発表が終わればさっさと帰ってしまう人。これは自分の研究に大きな自負や自信のある人。若い人にも多い)第4は、学会をもっぱら人との交流の場と考え、発表はあまり聞かず、会員控室や受付付近で知り合いと話し込み、懇親会や2次会参加を主にする人。
私にとっては、学会は新しい知識を仕入れる場になっている(第1のタイプ)、知り合いに会えるのも楽しい(第4のタイプ) 歳を取り顔を見せないと、皆から生きているのかどうか疑われる)。、ただ、高齢になってくると、年々、先輩世代や、同世代の出席が少なくなり、若い人が多くなり、このまま学会に出続けていいのだろうかと気持ちにもなる。それに、今更新しいことを学んでどうするのかとも考えてします。
 しかし、学会を、生涯教育の場と考え、新しい知識の習得や人との交流を楽しめばいいのであろう。

埼玉新都心と素敵なホテル

これまで「埼玉新都心」というものがあることを知らなかった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E6%96%B0%E9%83%BD%E5%BF%83)
今回。「日本教育社会学会65回大会」が埼玉大学で開催されたので、埼玉新都心にある、「ブリランテ武蔵野」(http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/18895/18895.html)に2泊した。そのホテルは、週末でも共済料金で1泊6,930円と安く、それでいて結婚式場を兼ねた豪華な造りで、部屋も広く綺麗で、朝食もおいしく、感動した(埼京線の北与野駅からも徒歩5分)。
そのホテルの周りの「埼玉新都心」を朝散歩したが、その規模大きさと、立派さにびっくり。かなりお金もかけているし、センスもよい。高層のビルが建ち並び、そのデザインは斬新で、また植えられている樹木や道路にもかなり手入れと工夫がされている。政府関係の支所がかなり入っているとのことで、このような豪華で斬新な建物が建てることができたのであろう。周囲には、高級なマンションが林立して、未来都市の様相を呈している。
「埼玉県はすごい。千葉県は負けている」と思った。「こんなところに住みたい」とも思った。
ただ、早朝、朝(9時ごろ)、夜(22時頃)と、この新都心を歩いてみて、いつも人が少ないのが気になった。平日の昼間ではないということのせいかもしれないが、人気(ひとけ)がほとんどない。朝、散歩するのに快適な道と緑が豊富なのに、人はちらほら。お互いにすれ違っても挨拶はしない。建物だけ超モダンにできて、そこに入る人がいない、いても人がその建物と雰囲気が合わないのかもしれない。
 埼京線、武蔵野線を乗り継いで、千葉県に帰ってきて、「がさがさした」(?)人の多い総武線に乗り、ほっとしている自分を発見し、千葉にどっぷり浸かっている自分を発見した。