「医療の社会学」について

昨日(6月27日)のNHKテレビ「パンデミック 激動の世界 検証 先進医療 12回,なぜ危機は繰り返されるのか」を少し見た。日本の医療のシステムやそれを支える日本人の医療観を多角的にみる必要を痛感した。つまり「医療の社会学」の必要を強く感じた。日本の医療は平時は素晴らしいが緊急時に対応が遅れている、民間医療が発展しているが大規模な公的病院は少ない、今コロナで一般の病気の受診が減少して病院は収入減になっているが、病気の時すぐ病院に行く日本人の行動が見直されていることなど、興味深い論点がいくつも提示されていた。

ネットで、「医療社会学」を検索すると、いろいろ書かれている。米国などに比べ、日本の研究は遅れているとのこと。日本でも「教育社会学」以上に「医療社会学」の研究がなされてもいいと思った。(ネットより一部抜粋)

<制度的学問としての医療社会学は、第二次世界大戦後の米国において成立し、1950年代に著しい発展を遂げている。当初は、精神衛生や公衆衛生に関する研究プロジェクトに社会学者が参加することで研究が始まったこともあり、医学の要請に応じた研究が中心であったが、やがてタルコット・パーソンズらによって、独自に医療や健康を対象とする社会学理論の構築が進み、1959年にはアメリカ社会学会に医療社会学部門が設置されるに至った/  日本では、1960年代頃に、ようやく公衆衛生や精神衛生、看護などの分野で社会学や注目されるようになり、また社会学者もこれらの分野に目を向け始めるようになった.学会組織としては1974年に日本保健医療社会学会が発足し、また、東京大学などのいくつかの大学研究機関においても、「保健社会学」名の講座が設けられるようになったが、多くは「医療における」保健や看護の社会学(すなわち、保健社会学、看護社会学)としての性格を強く帯びていた。したがって、今日でも、「健康と病気の社会学」への世界的な医療社会学の展開からみれば、日本では依然として研究者の層は薄く研究蓄積も十分ではない。この原因としては、第一に医療側に権威主義的、閉鎖的な傾向に基づく医療支配がなお強く残っており、外部からの参入や研究が困難であること、第二に、社会学側において、保健・医療の分野が重要視されてこなかったこと。/ パーソンズの議論は、医療を社会システム維持の機能要件として肯定的に捉えるものであるのに対して、近代における医療制度を否定的に捉えているのがイリイチ(医療化論)やフーコー(医学的まなざし論)である。イリイチは、医療制度は「専門家依存」をもたらすものであり、すなわち人間個々人の能力を奪い、不能化するものであると批判し、さらには、「医療そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある」として、これを広義の医原病(社会的医原病、文化的医原病)としている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6)