夫婦別姓について

夫婦別姓に関する最高裁の裁判が、最近あったようだが、私自身はあまり関心をいだいてこなかった。それは今も変わらない。ただ、保守の自民党の中に「夫婦別姓」に賛成の人もいるというのは、少し不思議に感じていた。

裁判の結果を報じる新聞記事(朝日新聞,6月24日)は、「封建的」「男性が支配的」 夫婦同姓合憲、海外で報道―という見出しで。次のように書いている。

<同じ姓でしか婚姻手続きができないとする法律の規定を合憲と判断した23日の最高裁大法廷の決定について、海外メディアも相次いで報じた。結婚をするためには夫婦別姓が選べない現状について、否定的な論調が多かった。 英BBCは24日の放送で、1898年に成立した民法で夫婦別姓が認められていないことについて、「女性や子どもは、家庭において男性の管理下にあるべきだという封建的な制度の一部」と説明。「男性が支配的な与党は同じ姓でいることが家族の絆を保つと信じている」とし、「夫婦同姓が定められている先進国は日本だけ」と紹介した。 ブルームバーグ通信は、最高裁の決定を伝える23日付の記事で、日本の現状は「男性も妻の姓を名乗ることはできるが、約4%(の男性)しかそうしていない」と指摘。「多くの女性は職場で生まれたときの姓を『別名』として使い、二つのアイデンティティーがあることで混乱や不必要な負荷を感じる人もいる」としている。(中略)。与党の一部からも夫婦別姓に肯定的な政治家が出てきたにもかかわらず、自民党の保守派が、夫婦別姓が伝統を壊すとして反対していたと報じた。(日高奈緒)>

「夫婦別姓は、日本人の家意識と関係がある」と友人から聞かされ、びっくりした。先祖の位牌を守るという家意識は、日本人の中にいまだ強い。今少子化で、家に女の子しかいない家がかなり多い。その家では、その女の子が結婚すると、夫婦別姓で姓が変わり、その家の位牌を守る人がいなくなる。それを防ぐために、(先祖を大事にする)保守層が夫婦別姓に賛成しているのだという。夫婦別姓は、男女平等や女性の権利に確立という革新的なイデオロギーから来ている運動だと思っていたが、近代以前の家意識の継続の為のものと考える人がいることに驚いた。核家族の「近代」を挟んで、拡大家族の「前近代」と少子化時代の「現代」が手を結んでいるということなのであろうか。