デジタル黒板の実演(敬愛大学、1月16日、5時限)

1 担当者(武内)の説明
今日実演していただく内容について少し説明します。教科書については、明治以来、学校で紙に印刷した教科書が使われてきましたが、今のデジタル時代に、紙より電子情報(デジタル)で教科書を作った方がいいのではないかという意見が、政府の中からも民間からも出てきて、いろいろな試作品も、実際の電子黒板もできています。教科書のデジタル化というのは、児童・生徒の持っている教科書がデジタル化され、子どもたちは紙の教科書の代わりに、その情報が全部入ったタブレットを持つということですが、現在はそこまで行っていなくて、ひとまず、教師の持っている教科書を黒板に映し出し、デジタル化するという電子黒板という形で、教育現場に普及しています(平均各学校2台程度)。今日は、電子黒板のソフトをもっとも豊富に作り、技術的にも内容的にも、日本で最も進んでいる、教科書会社の東京書籍の方にデジタル黒板についての説明と実演をしていただくことをお願いしました。

2 学生の感想(一部抜粋)
・デジタル教科書の使い方がよくわかりました。とても丁寧な説明でした/・今までの授業の概念を変える画期的な開発だと思う。/・電子黒板を授業に取り入れた場合、多くの利点があると思いました。さまざまな仕掛けがあり、先生の仕事が少しずつ楽になる。/・理科の実際の実験が映像になったり、社会は実際の風景が見られたりする。/・・豊富な内容が取り込める。勉強の幅が広がる/・動画を見られるのは本当に便利だ/・先生も生徒もわかりやすい授業ができるようなサポート機能がたくさんあって便利。生徒も授業に参加できるので役立つ。/・新しいものに興味がある小学生にとっては、教科書の内容が実際に映像で流れたりするのはとてもいいことだと思いました。動画も記憶に残りやすいし、教材作りが簡単にできる。/・付箋機能や保存もできるというのは、今まで知らなかったです。/・特別支援や外国籍の子の為に、日本語の区切りをつけるなど、一人一人に合わせた教科書作りには驚いた。教科書から文章をコピーして小テストを作ることができるのに驚いた。/・時間の削減や資料の整理ができる/
たくさんの機能をきちんと知って、適材適所で使うことが大切。/・しっかり、使い方をマスターしないと、宝の持ち腐れになる。/・機械オンチの私に使いこなせるかどうか。/
・子どもがタブレットを使うようになれば、パソコンを楽々こなせるすごい小学生になる/・先生だけが持っていても意味がない。タブレットの端末を一人一人持つにはお金がかかる。便利だと思うが、その裏には、たくさんの問題がある。
すべてをこの教材に頼るのではなく、必要な部分を補うことが必要だ。/・教師のあり方が問われている。子どもと教師の触れ合いが少なくなるのではないか。/・最初は新しいものなので、子どもたちも興味をもち使えると思いますが、プリントや実際に書いた方が早いこともあり、補助的なものに、そこまでお金をかけなくてもいいと思う。/・1、2年は楽しい授業が実施される気がした.しかし、5,6年はそうとは言えない。/・三角定規は実際に使った方がよい。/・本の教科書とデジタル教科書の併用がいいと思います。目が悪くならないか不安です。/・教材として、紙の教科書+αとして使うならいいと思う。/・先生がいらなくなりそうな危機感も感じる。/・デジタル教科書のように、出来合いのものに頼っていたら、教師のいる意味がなくなってしまう。

ボランティアの募集

知り合いの人から、下記のような、ボランティア募集のメールが来たので、掲載しておく。

活動内容: 日本人ゲストとグループ会話
 (留学生たちが今までに学んだ日本語を使ってゲストの方とのグループ会話に挑戦します。ゲストの皆様は彼らの母国の文化を知るきっかけとして、この活動を楽しんでください。学生の日本語レベル: 初級(来日6ヶ月程度)
3月15日(金): 集合13:45  授業参加等:14:00~15:05 (予定)
集合場所:KCP地球市民日本語学校 仮校舎(最寄り駅:地下鉄丸の内線 新宿御苑前駅 大木戸門出口)
参加申込: 3月5日(火)までに日本語教師養成講座事務局にメールでお申し込みください。アドレス:yosei@kcp.ac.jp (担当:秋山) TEL 03-3356-7747
学校法人KCP学園KCP地球市民日本語学校附設日本語教師養成講座 

退屈な毎日への活性剤

先週の水曜日(16日)は、敬愛の4年のゼミをやる自分の研究室に着いたのが、1分遅れの1時1分。研究室の前で待っていた学生から、「先生はいつも遅刻」と大分怒られた。(「たった1分の遅れではないのか。外国では、人の家を訪問する時、少し遅れていくのが礼儀だぞ(ここは研究室なので家のようなもの)」、とブツブツ)
最近は、教室に、学生は早く行くようになっている気がする。それは、学生が時間に律儀になっているのか、教室で気に入った席を確保する為なのか、それとも別の理由なのかわからない(千葉では電車の本数が少ないせいで、早く来ているのかもかもしれない)。
私が学生の頃は、先生達は10分程度遅れて教室に入って来て、10分くらい早く終わるのが通例であった。また授業の開始日も開講日より1週間後、夏休みや冬休みの前後は1週休みが通例であったように思う。それだけ、のんびりしていた。
その時間感覚が、自分の中に染みついているような気がする。さすがに、今はそのようなことは許されず、開講期間や授業時間を守るようにしているが、つい本性が出てしまうことがある。休み前に授業を休みたくなったり、授業に行く時間が遅れがちなのである。
大学教員は時間にはかなりルーズな人種ではないか。研究仲間の会合も、開始が30分遅れなどザラで、人が集まったら研究会や会合を開始する場合が多い(さすがに、教授会などはそのようなことはないが)。
私も含め多くの大学教員は、会合は定刻ではなく、遅れて始まるのが、当たり前と思っている節がある。ところが役所や会社などの会合は、時間通り、ないし全員が揃えば時間より早く始まることもあり、冷や汗が出たことがある。
会合には、1分前に会場に着くように想定するのではなく、15分くらい余裕をもって家を出るべきと思うのだが、それがなかなかできない。ぎりぎりに家を出て、バスや電車の乗り継ぎがうまく行き、1分前に会議に滑り込みができた時の快感が忘れられない。それに、間に合うかどうかのハラハラ感が、退屈な日常への活性剤になる、と考えてしまう気がする。
今日も授業や会合に遅刻しないように行こう。

時間の流れ

 定年後は、毎日退屈な日々を送ることになるのかと思っていたが、現在は、幸か不幸か、毎日忙しい日々を過ごしている。平日は、秒や分単位で生活しているような気がする。
 平日は、家を出て少し歩いて、バス停に着くと同時にバスが来る。駅のエスカレーターを上りきった瞬間に電車がホームに入ってくる。会合の時間の1分くらい前に、会場に到着する。
実際は、このようにうまくいかず、信号や途中の込み具合で遅れ、その遅れが連鎖的に繋がり、大幅に遅れることがあるが、平日のスケジールがぎっしり詰まり、秒や分単位で生活し、そのスケジュールがうまく消化できた時はうれしい。
 毎日、忙しく生活していると、週末にのんびり生活している場に行き、そのスローな生活に驚くことがある。
千葉の外房の「御宿」に電車で行くことが時々あるが、外房線の普通列車は1時間に1本しかない。そこで、千葉駅や御宿駅で列車が出たばかりの時は、1時間駅で待つことになる。2~3分置きに電車が来る、東京都心と大違いである。
 週末は母親の介護で実家で過ごすことが多いが、そこでの時間の流れは、遅い。 先週の土曜日(19日)、たまたま、母親の薬をもらいに、処方箋をもって、近くの薬局に行った。そこで、薬を待っている人は2人なのに、薬をもらうまでに20分近くの時間かかった。局員がのんびり、料金の計算方法など、話し合っている風であり、待っている人も、別に苛立っている風はない。うちの近くの薬局では5分はかからない。薬局で薬をもらうのにかかる時間で、都会度がわかるのではないかと思った。

ジョンレノンの非暴力・反戦活動

19日のBS11で、ドキュメンタリー映画「PE ACEとBED; アメリカvsジョンレノン」(2006年、アメリカ映画)をやっていて、少し見た。
昔、ジョンレノンとオノヨウコのベット・インの報道を見て、そんないい印象を持たなかったことを覚えている。
そこに、この映画で指摘されたような、深い思想と非暴力の反戦活動があったとは、当時、思い至らなかった。ベトナム戦争を遂行するアメリカのニクソン大統領とFBIは、ジョンレノンとオノヨウコの反戦活動に脅威を感じ、盗聴、尾行、さらには迫害を実行していった。映画では、その様子が、克明に描かれていた。
FBI長官が、自分たちの立場を正当化する時、「愛国心」、「道徳心」、「自分の国家と家族を守る」「強い意志」、「神への信仰」という言葉を繰り返しもちいていた。その言葉のもとに、ベトナムでの戦争、そしてそれに反対するジョンレノンとオノヨゥコへの迫害を行っていたことを、銘記しておきたい。