傘寿について

昔は歳は数え年が主で、お正月に一つ齢をとったので、自分の誕生日はあまり気にしなかったし、誕生日を祝うこともなかったように思う。いつの頃か歳は満で数えるようになり、歳が1つ増える誕生日を皆で祝うようになっている。高齢者の場合、それに長寿の祝いが加わる。昔は満60歳が一つの大きな節目だったが(会社や公務員の定年も60歳のところが多かった)、今は平均寿命も延びて、定年も伸びている。「還暦」(60歳)の次は、「緑寿」(満年齢で66歳)、「古希」70歳、「喜寿」77歳、「傘寿」80歳、「米寿」88歳、「卒寿」90歳、「白寿」99歳、「百寿」100歳(以下略)と続く。

写真家の藤原新也は1945年(昭和20年)3月の生まれで、氏のファンたちが集まってお祝いの会(傘寿の会)が、東京のレストランで開かれたようである。その会の様子と藤原氏のお礼の言葉と「傘寿」に関する独自の考えが、会員制のサイトに書かれている。このサイトは公開されていないので、詳しく紹介することはできないが、傘寿に対するの藤原氏の心境が書かれていて、それに感心したので、その要点の言葉のみ抜き出しておく。

<傘はその時、自らが濡れたり雹に打たれたりすることによってその下にある者を守る。/ つまり傘の存在とは自分を忘れ、他を助く、そのものなのだ / 他のための傘となるという本来利己的な人間の最も不得手な所業を表すもの / つまり私は他の命を守る傘になる年齢に達したということだ >