時間や場所の貴重さ

時間や場所の貴重さや価値は、そのことの属性というよりはそれを使う人や状況によるように思う。具体的に、それを私が端的に感じるのは、参加しているテニス教室でのことである。

私が参加しているテニス教室では、テニスコート2面で、12名前後の受講者がいて、2時間行われる。通常1時間半の集団レッスンが終わると、残りの30分弱はタブルスの練習試合を行うことが多い。1ゲーム先取で、勝てばそのまま残れるが、負けると1回休みになる。試合の時間は少ないので、テニスコートで試合ができることと,プレイできる時間がとても貴重に思える。したがって、集中して必死にプレイすることになる。ところが、そのテニスコートを家族で予約してテニスをするとなると、2時間は長く、また家族だとあまり緊張感もなく、テニスコートとその時間があまり貴重とは思えない。

このようなことは、テニスの時間やコート以外でも、いろいろ見られるように思う。そのことの価値は、それ自体にあるのではなく、それに参加する人や状況によって決まる。そこに希少性が感じられたときに、価値が生じる。