選択ということ

何かを選択するということは、何かを選択しないということになる。場合によっては、選択しないものを隠すことになる。また、あること大きく取り上げることは、別のことを小さく見せることになる。
(大学の講義でも、そのことは当てはまるので、後期の授業を前にして、心しておこう。)
マスコミが何か何かを大きく取り上げるということは、そのことの重大さを国民に提示し、別のことは大したことではないという判断を国民に提示(=押しつけ)していることである。したがって、何を大きく取り上げるかのマスコミの判断は、事態を正確に伝えるということと同じくらい重要である。
今のマスコミ人に、何を選択するかの厳しい自覚がるののであろうか。また立場にとらわれない公平な見地からの報道をしているのであろうか。
「マスゴミ」(枝葉末節のくだらないことに血道を上げているマスコミ)(藤原新也の言葉)というものが存在するような気がする。
自社のトップの意向やイデオロギーや自社の利益だけを考えたニュースや記事の選択をするマスコミ人は、マスコミ魂を失った人ということになる。政治家に転身した方がよい。

藤原新也は、最近の公開の shinya talk で、相変わらず、鋭いことを言っている。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/

それにしても、吉田調書で明らかになったように、吉田所長の判断で、「関東圏を含む東日本一帯が壊滅」するという事態が避けられたのは、感謝しなければならい。