社会調査について

『社会と調査』NO16に下記のような短い文章を書いた。早速読んでくれた人がいて、下記のようなコメントをいただいた。調査に関してきちんとしたことを言える素養は私にはないが、昔の素朴な調査にもよさはあるし、現代にも通用するものもあると思い、それを書いた。

 学部時代に学んだ調査技法        敬愛大学特任教授  武内 清

私が学んだ東大の教育社会学コースでは、学部3年次に「教育調査演習」という必修の授業があり、誰もがこれを経験して卒業していく。この授業が学部時代の授業の一番の思い出という卒業生も少なくない。
授業の1コマながら、調査テーマの設定、仮説の構築、調査票の作成、サンプリング、調査の実査、集計、分析、報告書の作成、発表(5月祭での発表や冊子の作成)と、社会調査の一通りのことを全部、自分達の手で行うので、調査の全容がわかる。大変な苦労と時間を費やすものだが、その後、職場で役にたっているという卒業生も多いように思う。
私の時は同期6人で、勤労青少年の面接調査を古河市で行なった。面接は、中卒で集団就職して働いている勤労青少年を職場に訪ね、所長の目を気にしながら職場満足度や勤労意欲等について尋ねた。聞き逃した項目があると再度訪問という命令が指導教官より下り、実地調査の厳しさを学んだ。集計は回答を1枚のカードに写し、それを並べてカウントした。そこで縦横に並べるクロス集計という手法も覚えた。1票が大きな重みをもっていた。
後輩たちの「教育調査演習」のテーマは、児童・生徒やその親あるいは大学生を対象にすることが多くなり、その手法も面接調査からアンケート調査に移り、大量のデータをコンピューターで処理するようになっていった。
そこでの集計は大型計算機センターが使われ、また自分のパソコンでしかもSPSSという便利なソフトで集計、検定ができるようになっていった。ただ、楽になった分、データや集計の重みを軽く考えるようになってしまったように思う。昔はクロス集計1つ出すだけで大変だったし、検定にも手間がかかった。
私の場合は、その後、「東京都子ども基本調査」「日米高校生比較調査」「モノグラフ・高校生調査」「大学生文化調査」など、量的アンケート調査に多く関わってきた。
調査の手法は、私達の世代から大きく進歩している、昔の世代から何かいうのは時代錯誤のような気もするが、大切に思ってきたことを書き留めておこう。
第1に、単なる実態を明らかにする記述的な調査ではなく、何に役立つのかを考えた仮説的(説明的)な調査をすべきであろう。その際、因果法則を満たす3つの条件(時間的順序、変数の共変、第3の変数の統制―高根正昭『創造の方法学』講談社現代新書)は、必須である。
第2に、現代は複雑な多変量分析や、自由回答の分類まで、コンピューターがやってくれて、高度な解析ができる。しかし、最初に質問に答えるのは、生身の人間であり、その肌触りがわかるような分析や考察をすべきであろう。その為には、調査の初心に返り、質問の仕方(ワーディング)、クロス集計いった初歩的な部分も大切にしたい。
第3に、量的調査と質的な調査を併用して、現実に迫るべきであろう。そして出てきたデータと自分の経験や感覚と違うときは、まずデータや集計を疑い、再点検をすべきであろう。実証は大事だが、データ至上主義に陥ってはならない。>

いただいたコメント
<武内様 本日「社会と調査」の武内様のエッセイを読ませていただきました。調査も昔の方が手作り感があった感じがします。やはり量的な調査と質的調査がうまく接合すると面白い調査ができると思います。私は質的調査は結局は研究者の洞察力であると思っております。また、質的調査についてはジャーナリストにかなわないと昔から思っておりました。「創造の方法学」を書かれた高根先生には一度お会いしたことがありますが、若くして亡くなったと思います。その点、最近読んだ調査の本ではStoufferのThe American Soldierが印象深いものでした。第2次大戦中にこんな調査がやられていたのかと感心してしまいます。最近、アメリカでGufl war and healthという湾岸戦争に従事した兵士の健康状態を調査した研究が出ているのを見つけましたので、読んでみようと思っています。(H.K.)>