宝くじ

遊びには4種類があると言われる。「競争」「模擬」「めまい」「運」の4つである。
そのうち、「競争」と「模擬」は意思を働かせる能動的な遊びであるのに対して、「めまい」と「運」は意志を働かせることのない受動的な遊びなので、近代ではあまり奨励されない。
今人気のスポーツの野球とサッカーを比べると、「競争」な要素はどちらも強いが、勝敗を分けるのはチームの強さだけでなく、ボールがゴールにうまく入るかどうかの「運」によるところも大きい。サッカーの面白さは、偶然が重なりゴールして点が取れるかどうか、つまり「運」にかかっている部分もあるように思う(その点、テニスは、ほとんど番狂わせはなく、腕の上位者が勝ち、ハラハラ感がなく、人気がいまいちである)。このように考えると現代は、「運」も尊重されている
「運」によって決まる一番のものは、宝くじであろう。 多くの人が「宝くじ」を買っているが、「宝くじ」を買うことに、人は抵抗感がないのであろうか。
私自身は、ミーハー なので、人がやっていることは何でもやって見たいという気持ちがある。そこで、宝くじを時々買うことがある。でも、人生を宝くじに託していいのだろうかと思い、つまり後ろめたい、恥ずかしい気持ちがいつも付き纏う。人生を、意思の力で切り開く可能性がなくなった人(つまり老人)が、宝くじに運を託す、そのようなものと、私は宝くじを考えている。(だから、「歳から考えて、君には買う権利がある」という声も、どこかから聞こえてくる)。
別の見方として、人生の多くは、運によって決まる部分が多いといわれる。社会的地位を決めるのも、親の地位や本人の能力や努力や学歴ではなく、「運」だという実証研究もある。それを考えれば、人生は「運」に満ちているのだから、「宝くじ」も、いいかもしれない。