天皇制存続と憲法9条はバーター?


天皇制や憲法9条について、加藤典洋『九条入門』(創元社)の内容を内田樹が紹介している文章(blog.tatsuru.com/2019/05/03_1323.html)を読んで、このような見方があるのかと驚いた。これは歴史的な見方なのであろうか、それとも文芸的あるいは社会学的な見方なのであろうか。また教育現場ではこの歴史をどのように教えてるのであろうか。内田氏のブログの一部を転載しておく。

<天皇制の存続は戦争末期においてアメリカではほとんど論外の事案だった。1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。そのような世論の中でGHQによる日本占領は始まった。法理的には、日本国憲法を制定する権限はGHQではなく、それより上位にある極東諮問委員会の11カ国である。メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた(中略)日本では極東委員会もアメリカ国務省も知らないうちに1946年3月6日に天皇制の存続と戦争放棄という驚嘆すべき条項をもつ「日本政府案」(起草したのはGHQ)が発表された。なぜマッカーサーは憲法起草をこれほど急いだのか?加藤典洋によると理由はきわめて実利的なものである。天皇制を利用すると占領コストが劇的に軽減することが確かだったから。天皇制を廃したり、天皇の戦争責任を裁判で追及した場合には、絶望した一部の日本軍兵士が占領軍に敵対し、多数米軍兵士の長期駐留が必要になる可能性があった。1946年2月時点でのマッカーサーは天皇制を梃子に国内秩序を完全にコントロールすることと、アメリカ国内向けには「天皇制があっても、日本の軍国主義は決して復活しない」と保証することという二つの要請を同時的に応えるというアクロバシーを演じる必要があった。そのときにマッカーサーに訪れたのが「戦争放棄」というアイディアであった。天皇を免罪するけれども、天皇の存在が世界の平和を脅かすリスクになる可能性はゼロである。なぜなら、日本は戦争を放棄するからである。天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。「天皇制は残す」という決定を呑み込ませるためには、「極端な戦争放棄条項」、すなわち個別的自衛権すら放棄するという条項を憲法に書き入れるしか手立てがなかったのである。憲法九条二項は憲法一条と「バーター」で制定された。

一昨日(5月8日)の朝日新聞に載った江藤祥平氏の9条論も、この加藤の解釈の延長線上にあるように思う。(虚構”だからこそ引き受ける 江藤祥平(憲法学者)                                    <憲法9条の存在自体には意味があったと私は考えます。軍拡を抑え、軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は、国際社会の信頼を得てきました。真剣に受け止めるなら、戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ、歴史の一歩先を行く性格を帯びた背景には、多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面から見れば、弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものとも言えるでしょう。9条の理想を追求する日本国民という物語は、それが虚構であるからこそ、引き受ける覚悟がなければ成り立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。>

(一方、江藤淳のように、このような憲法9条の戦後日本の虚構=欺瞞が、戦後日本の腐敗を蔓延させたという見方をする人もいる。)