そこに居場所がない 寂しさ

昨日(13日)は、上智大学の大学事務局に用事があり、久しぶりに上智大学(新2号館)に行った。
自分が20年間勤め、研究室のあったところが、今は自分の居場所ではない、というのは不思議な感覚である。自分がいなくても、自分がいた頃と同じような日常が滞りなく回っている。それは、一種のさびしさの感じでもある。
昔、10年勤めた武蔵大学に非常勤で行っていた時、ちょうど教授会が開かれていて、それが外から窓越しに見えたが、自分はもうそこの一員ではないし、どんなに懐かしくても、そこに入ってはいけないのだと知った時の、衝撃は大きかった。

もしかすると、それは、自分の死後、自分のいた家族や職場やさまざまな人間関係が、自分抜きで回っているのを、天から(あるいは地から)見る時の感覚かもしれない。