柔軟な思考が大事(敬愛大学「教職の里程」原稿)

私は学部・大学院そして大学(武蔵大学、上智大学)に就職してからも教育学(正確には教育社会学)を学び且つ教えてきたが、それらは教育研究を目指していて、教育実践とは距離を置いていた。敬愛大学に6年前に奉職するようになり、はじめて教員養成や教育現場というものを意識するようになった。
敬愛大学こども学科に入学してくる学生は、小学校の教員になることを目指して入学してくるものがほとんどである。大学のカリキュラムも教員採用試験や教育現場向けのものが多く、学生たちは、教育現場や実践に役立つ内容が教えられる。敬愛大学の卒業生は教育現場に出て、即戦力として教える力を備えている。それは敬愛大学のメリットだと思う。
ただ、それは『教育工場の子どもたち』(鎌田 慧、岩波書店、1984年)と揶揄されるような狭いものであってはならない。
教育実践に役立つ技術や方法を学び、実質的にそれを身に付けることはとても大事なことである。しかし社会や技術が大きく変化していく現代にあっては、それだけでは足りない。大学で学んだ知識や技術はすぐ古くなり、また現在の教育現場で通用している考え方や方法は将来もそのままとは限らず、その時代にあった新しいものが求められる。それは、各自が自分の力で開発していくものである。
そのような新しいものを作り出す力(汎用的能力や技術)を、大学時代に身に付けたいものである。それは、限定された分野で通用する実践や技術ではなく、広い柔軟な視野で考え、新しい状況に対応できるものである。その際、先輩や同僚との協働も必要であり、その能力(コミニケーション能力)も養いたい。
大学の教養科目や専門科目、ゼミなど一見教職に役立ちそうもない科目こそ、実はこのような新しい柔軟な思考を養うものであることが少なくない。それが、専門学校と違う大学の特質である。
教育現場や学校の教師の置かれた環境は、狭いということも自覚すべきであろう。子ども相手に、教師は奢ってはならない。「よき教師」がよき市民とは限らない。狭い教師枠組みから脱した柔軟な思考が教師には必要である。
敬愛の学生には「明朗」「子ども好き」「人間好き」「イベント好き」「高いパホーマー」のものが多い。これに、堅実な教育に関する知識や技術、さらに幅広い教養が備われば、次の時代を担う素晴らしい教師が誕生する。皆さんの学びと成長を期待する。