暗い気持ちを少し払拭してくれる歌

今年も残り少なくなってきた。新型コロナの第8波の兆し、ロシアのウクライナ侵攻の継続、物価の高騰、防衛費の増額、原発の再稼働と、新年に向けて明るいニュースはない。このような気が滅入る時、少しでも前向きな気分になれる歌はないのかと、過去のブログを見てみた。

2013年10月31日のブログに掲載した東北の震災後の困難、失意を励ます江藤 雅樹氏の歌う「雪解けの花」(段ボールメッセージ)を聴いて、状況は違うが、少し励まされ前を向くことができるかなと感じた(自分のことより、苦しんでいる人への励ましの歌だが)。再掲する。

作詞作曲の江藤氏に関しては、下記を参照(http://www.etomasaki.com/biography.html)

韓国ドラマ「ピノキオ」を観る

最近、いろいろ忙しいことがあり、また家のネットフリクスに上手く繋がらないこともあり、韓国ドラマから遠ざかっていた。ネット環境が安定し、暇になり、韓国ドラマを見ることが増えた。まず友人にすすめられたドラマ「ピノキオ」の続きを見た。

最後の数話は面白く、一気に見た。真実を報道することの大切さを訴えたテレビ局の報道部が舞台のドラマ。その主題(「真実を報道することの大切さ」)に心を打たれると同時に、韓国特有の文化にも気が付いた。第1に、上下や官僚制の組織原理が、韓国で強いことも感じる。組織の内部告白者が、たとえそれが正しいことであっても組織の人やそれまで恩を受けた人を裏切った人いうことで、道徳的には糾弾され、一生就職もできなくて当然と人々が思っていることが描かれている。第2に、親しいし人や組織には特別の便宜を図る人情が大切という韓国の個別主義の原理と、不正をしない癒着をしないという近代の普遍主義の原理とが、組織内で攻めぎ合っていることを感じる。前者は韓国の方が日本より強い感じがする。第3に、韓国では若い人の恋愛や結婚に関して、親や保護者の許可が必要。これは日本より韓国が強いように思う。「育ててくれた親の恩」「上の人を敬う」という儒教の伝統のようなものが韓国で今も生きているのであろう。第4に、他の韓国ドラマでも見られるが、禁断の恋に、近親婚すれすれのところを扱ったものが見られる。韓国の親戚・きょうだい愛は、日本より強い感じがする。韓国ドラマ「よく奢ってくれる綺麗なお姉さん」では、実際の姉弟ではないが、姉弟のような関係で育ってきた二人の恋愛を周囲が猛反対する話。ピノキオでは親戚・きょうだい関係と恋愛関係に関する、微妙で複雑な心理が描かれている。

今新しく見始めたドラマは、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」https://www.wowkorea.jp/profile/201139.html、「天才的な頭脳と自閉スペクトラム症を同時に持つ新人弁護士の大型ローファーム生存記」で、韓国社会の諸側面が描かれていて興味深い。裁判のドラマながら、登場人物も皆人がよく、心温まるドラマである。https://www.youtube.com/watch?v=4qsMsRIr1hc

初冬の海と鳥

冬になると家の庭の餌箱にパンくずやミカンをおいておくと、スズメやメジロやムクドリがよく来て餌を食べてくれて楽しめたが、一匹の地域猫(名前はジョバンニ)がうちの庭(や家)に来るようになり、庭の餌箱に来る鳥を捕まえるようになった。それで、鳥に餌はやれなくなり、近くの海岸に餌を持って出かけるようになった。

昨日(15日)は、検見川浜は、日差しは暖かく風もなく、多くの鳩が餌を食べに来てくれた。カモメや雀も少し少数ながら混ざっていた。桟橋では、老人たちがのんびり釣り糸を垂れ(小魚とイカが釣れていた)、沖合には、魚の群れが居るのか、多くの鳥が群がっていた。

映画『ドライブ・マイ・カー』を観る

映画『ドライブ・マイ・カー』(Drive My Car)をPCで観た。3時間と長い映画で、途中3~4回中断して、3日くらいかけて観た。映像はなかなか迫力があり、ドライブで景色も楽しめたが、村上春樹の世界とは別物のように感じた。その内容や感想はWEBで下記の次のように紹介されている。

『ドライブ・マイ・カー』(Drive My Car)は、濱口竜介監督による2021年8月20日公開の日本映画。村上春樹の同名小説「ドライブ・マイ・カー」の映画化作品。主演は西島秀俊。第74回カンヌ国際映画祭では日本映画初となる脚本賞を含む計3部門を受賞したほか、第94回アカデミー賞では作品賞・脚色賞を含む計4部門にノミネートされ国際長編映画賞を受賞。

「ドライブ・マイ・カー鑑賞してきました。今まで観た村上春樹映像化作品で1番好きだし村上春樹らしさが損なわれてないしホントにいい映画だった!」「村上春樹の物語をそのまま映像に転写したような、というのが率直な感想。観終わった直後はピンと来なかったのに、家福の独白を反芻する自分に気づく。僕たちって正しく傷つくべきだったよな」「愛する人を失う絶望から演劇を通しての希望を描いている今作。それは悲しみからの再生の物語」「この映画は、40も半ばを過ぎ人生がくたびれてきた人や若くして相当な災難に見舞われた人でないと心に沁みてこない映画なのかもしれない」「ユナ役のパク・ユリムさんはステキでしたね。手話も美しい」「濱口監督の作品は基本的に戯曲研究がベースになっている部分があるように思う。それが色々と面倒臭い印象を醸し出しちゃってるのかもしれない…」「話題になっていて自分の中であまりにも期待値を上げすぎていたせいか何が良かったのか私には分からなかった。棒読みのセリフも気になるしラストのみさきはどうして家福さんの車にしかも犬を乗せて運転してたのか?それも韓国に行ってたし、どう読み取ったらいいのか難しかった」「わしには分からん、アホじゃけぇ。文学っぽくて、序盤の雰囲気から最速で置いてけぼり。賞をとってるからと言って分かったフリはしたくない」

村上春樹に関する評論も書いている内田樹が、映画「ドライブ・カー」に関して、コメントを書いている(2022年12月29日)。一部転載しておく。

「すぐれたアイディアだと思ったのは、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を多言語(日本語、韓国語、中国語、手話など)で演じる舞台の稽古を軸に物語が進むという設定だった。/ 多言語演劇というのも巧妙な設定だと思った。日本語なら私たちには意味がわかる。だからつい意味を追ってしまう。それだけで「芝居を見た気」になる。でも、知らない言語で演じられると言葉の意味がわからない。私たちは俳優たちの微細な表情の変化や息づかいや声の響きに集中する他ない。それはストーリーを追うこととは別の種類の集中力を観客に求める。/そのせいで、観客には物語の進行を高みから見物するという横着な構えが許されない。観客ひとりひとりが固有の仕方での「参与」を求められる。」

若い人の自然観

私の冊子『教育、大学、文学、ドラマ、日常』(2022.9)のⅨ章は「花紀行」である。それを読んだ学生の何人かがその感想を寄せてくれた。その一部を紹介する。

A Ⅸ章を読んで、私たちの人生には必ず自然が存在していると実感した。自然は人間視点から見ると当たり前に存在しているが、それを当たり前と思わず自然に関心を持ち大切にすることが大切であると思った。なので今までよりも草木や花への関心を持ち色々見に行きたいと思う。冊子を読んで私も八千代京成バラ園入ってことがあり、記載されている通り日本とは思えない雰囲気をバラが演出していた事を思い出し、もう一度違う季節に訪れたいと思った。また私が1度も行ったことないためぜひ行ってみたいと思ったのは、3つあり1つめは千葉市にある花の美術館である。大学から近いところにあり、学校帰りでも行けるのでそこで季節の花を楽しみたいと思った。2つめは日光の紅葉である。しかし今の時期ではもう散ってしまっているので来年はぜひ肉眼で見たいと思う。3つめは花見川の桜である。水色の空と桜のピンクの色の対比を川の流れの音と一緒に楽しみたいと思った。桜はすぐに散ってしまって悲儚い花だが、だからこそ桜が主役となっている時は美しいと思う。以上の他にも時間がある今のうちに多くの自然と親しんで行きたいと思う。

B 私は花や自然が好きで長期休みは少し朝早く起きて散歩がてら花などを探すことがあります。しかし、今は学校や課題でそのような時間が取れず自然と触れ合えていません。そのため、この章を読んでとても花を見に行きたくなりました。幼い頃は花は綺麗だけれどわざわざ見にいくということはしませんでしたが、最近は無性に花や自然の中に行きたいと思うようになりました。人工的なものしか触れ合えない今の状況に日常の危うさが出ているのかは分かりませんが、今学期が終わり春休みになったら梅や桜、自然を見にいこうと考えました。

C 今回、資料を読んだ中で「花紀行」に興味を持った。理由としては、私のアルバイト先で様々な花を取り扱っており、わが家でガーデニングをすることもあるからだ。江藤淳は「自然に関心がない人は人工的なものに侵食され、自然を奪われ、人間に集中されることを余儀なくされている。」とある。このように、自然に関心を持つべきなのは、大人だけではなく子ども同じである。自然から学べることはたくさんあり、木の枝一本からでも様々な遊びを考え、気づきを基に創造力や発想力などの非認知能力を高めることができる。また、教師は自然とかかわることで新たな教材を見つけることができるかもしれない。武内先生のように多くの場所に行くことで、その地域の特色を知ることができてよいのではないかと思った。