桜の開花

家の前の小学校の桜があっという間に8分咲きになった(8462)。あわてて自転車の乗り、近所の桜を見に出かけた。千葉市の動物公園の裏の桜は5分咲きくらいでまだまだ満開まで2~3日はかかりそう(下記)。天台の運動場の桜も同じくらい(8534)。モノレールからの眺めも今度試みてみたい。

学校のジェンダー不平等について

ジェンダーの平等が言われているが、教育の世界では依然ジェンダーの不平等が続いている。その一つは、学校の管理職に女性が少ないこと。それについての考察は、河野銀子編著『女性校長はなぜ増えないか』(勁草書房.2017年)などに詳しい。今日(3月18日)の新聞に、そのことの最近の状況が載っていたので、一部を転載する.

<学校のジェンダー不平等 女性校長、公立中高で1割満たず/ 中学校は9・8%、高校(全日制)は9・2%――。これは、公立校の校長に占める女性の比率です。ジェンダー平等の実現が国際的な課題となるなか、日本の校長の女性比率は諸外国と比べて極めて低いのが現状です。/ 文部科学省の学校基本調査(昨年5月1日現在)によると、公立校の校長の女性比率は小学校で約25%なのに対し、中高では1割に満たない。「教員」「副校長・教頭」「校長」と職位が上がるにつれて女性比率が下がる傾向がどの校種にも見られた。/ 女性校長が少ないことは、何が問題なのか。まず挙げられるのは、「リーダーは男性」といった性別役割分担意識を子どもが持つ恐れがあることだ。/ 次に挙げられるのは、学校における意思決定層の多様性の欠如だ。/ では、なぜ女性校長は少ないのか。どうすれば増やせるのか。 管理職になりたくない理由の中で、男性より女性が選んだ割合が特に高かったのは「育児や介護などとの両立が難しい」だった。ジェンダー平等の実現が叫ばれるなか、家庭の負担が女性に偏っているのが実情だ。/ 管理職へのキャリアアップに求められる「暗黙の要件」が女性教員を排除してきたと指摘するのは、山形大学の河野銀子教授だ。管理職になるための事実上の要件として、長時間労働を伴いがちな教務主任の経験や、合宿型の中央研修への参加などが求められ、家庭との両立が難しい女性教員が管理職になるのを阻まれてきたという。また、地域によっては「夫婦で教員の場合は両方が管理職になるのを避ける」「女性教員は孫が生まれたら退職する」などの慣習があり、女性管理職が増えない要因になっているという。河野教授は「女性が排除されやすいルールや慣習を見直すべきだ」と話す。>(朝日新聞、3月18日朝刊より一部抜粋)

ジェンダーの平等も含め、今話題になっている教育の多様性に関して、河野銀子さんの講演や河野さんが参加するシンポがいくつか開催されるようだ。

3月22日:学術会議 https://www.scj.go.jp/ja/event/2023/331-s-0322.html

3月26日:人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会(GEAHSS) https://geahssoffice.wixsite.com/geahss/single-post/geahss_20230326

過去の読書体験について

読書、特に小説に関しては、自分の好みの作家のものを読み、なかなか未知の作家の作品を読むことが難しい。ただ、若い時は国語の教科書に載っている作家のものや先生や友人から勧められた本を読むことはすると思う。私の場合、大学3年の時にたまたまポスターを見て参加するようになった『鑿壁読書会』(市川の図書館の読書会)で、月2冊、課題の本(小説)を読み、読書の幅が広がった。

最初に参加した時に取り上げられていた小説が、大江健三郎の「死者の奢り」で、はじめて大江健三郎の小説を読み、そのみずみずしい感性と文体に衝撃を受けた。その会の中心を担っていたK氏ら(「風の便り」の執筆者の辻氏はその時のメンバー)は自らも小説を書き、新しい小説に関心があったようで、そこで取り上げられる作家は、大江の他、安部公房、倉橋由美子など、斬新なものが多かった。それ以前、武者小路実篤、井上靖などしか読んでいなかった私も、おかげで時の最前線の小説を読む機会を得た。

大江健三郎が先日88歳で亡くなったという報に接し、上記を思い出したので、私の大江の読書体験を期しておく。同世代の友人からは「いま大江健三郎の訃報に触れました。私たち青年期に読んだ巨匠が…ショックを受けています」というメールもらい、下記のように返事を返した。

私の場合は、「死者の奢り」や「飼育」「芽むしり仔撃ち」を最初に読んで、その文章と内容のみずみずしさに心を打たれ、すっかり大江ファンになりました。ところがその後の作品で、共感が得られずそこで「挫折」してしまいました。さらに、江藤淳が大江健三郎の小説「個人的体験」の終わり方に二通りのものを用意した(専門家向けと一般向け)ことに対して呆れたと書いていることに共感し、それ以降大江健三郎の小説も文章も読まなくなりました(「ヒロシマノート」も読んでいません)。もう少し冷静に大江健三郎を読んでおけばよかったと、今頃になって思います。

3.11に思う

 

今日(3月11日)は、東日本大震災から12年目。私のHPでも「3.11」というキーワードで検索すると10弱の書き込みが出てくる。その他にも災害教育に関係して、いくつかのことを記録にとどめている(釜石の奇跡等)。それらを記憶にとどめると同時に、今後の心構えや見方もしっかりしたい(今日の新聞記事を転載しておく)。

「岩手県陸前高田市出身の佐々木朗希投手が、東日本大震災があった3月11日にWBCにデビューし、8つの三振を奪った。」(朝日新聞3月11日)

「2万2千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から、11日で12年を迎えた。津波に襲われた被災地では、朝から多くの人たちが犠牲者を思い、祈った。一人で、家族で、みんなで。あの日を忘れないという誓いを新たにした。」(同上)

「2011年に起きた東日本大震災は日常の価値観を揺さぶり、数多くの創作に影響を与えてきた。発生から12年になろうとするなか、震災を作中に取り込んだ新海誠監督のアニメ映画「すずめの戸締まり」が大ヒット中だ」(朝日新聞デジタル、2023年3月9日)

八千代の河津桜を楽しむ

今年は少し油断して、花粉症の薬を飲む時期を逸して、花粉症になってから薬を慌てて飲んだ。やはり飲む時期が少し遅かったようで、少し難儀している。それで遠出を諦め、近場の「花紀行」で我慢している。

自宅から車で20分のところの八千代新川の土手には河津桜が千本植わっている。河津桜の花は咲き始めたら早く、3月6日に見に行った時はまだ2分咲きくらいであったが、その4日後の昨日(10日)見に行ったら、もう満開であった。行ったのは、夕方であったので、夕日を浴びた河津桜の為、本来の色(桃色)とは少し違う味わいであった。夕暮れと共に、ライトアップも加わって、いろいろな色の河津桜な見ることができた。

伊豆の河津桜は、今年はネットで見るだけで諦め、来年の楽しみにとっておこうと思う。

https://www.bing.com/videos/search?&q=%e4%bc%8a%e8%b1%86+%e6%b2%b3%e6%b4%a5%e6%a1%9c&docid=20816378207731&mid=397B01E930BB2E4DB8E7397B01E930BB2E4DB8E7&view=detail&FORM=VDQVAP&rvsmid=A00EAD03E8A2EDEA1AB4A00EAD03E8A2EDEA1AB4&ajaxhist=0