稲毛海浜公園内の市の「花の美術館」が民間委託され、リニューアルオープンしていた。
季節の花がきれい。イングリッシュガーデンのような一角もあり、プロの腕を感じた。バックには、音楽の生演奏。連休を少し楽しめた。
投稿者: takeuchi
夕暮れ時の御宿
井上ひさしという人
5月4日NHKスペシャル「井上ひさしの遺言」を見た。いい番組だった。
作家の井上ひさしが、構想をもちながら、肺がんで死んで書けなかった沖縄に関する戯曲を、娘と演出家と脚本家で、作り上げ、上演するまでのドキュメンタリー番組である。
「井上ひさし」って、人生に対して、また沖縄に関してこんな思いを抱いていた人だったのか、と教えられた。真摯な生き方をした人だったことを知った。
10年くらい前、上智の教育学科で講演をお願いして、その後教育学科の教員との懇談会があり、私も参加したが、その時もう少しきちんと話を聞いておけばよかったと、悔やまれた。その時の講演を、学科編で本にしたものがあるので(上智大学教育学科 (編) 「新・リーダーの条件―新しい世界を築く人びとのために 」(上智大学出版) 、、再度読んでみよう。
5月の花
本の紹介、天才との比較
その本を読みたくなるような、本の紹介を書けると言うのは凄い。
前にも紹介したが、渡部真さんと小池さんの対談は、そのような気にさせる内容に満ちている。
最新の対談は、アントン・チェーホフのワーニャ伯父さんについて(http://sociologyofyouthculture.blogspot.jp/)。チエホフ全集をほしくなったほど。
そこで紹介されている、下記の内容にドキ。
(歳とった)大学教員の多くが思い当たってしまうのではないか。
<ワーニャ (前略)考えなくちゃならないのは、次の点だ。それはね、まる二十五年のあいだ、やれ芸術だの、やれ文学だのと、書いたり説教したりしてきた男が、そのじつ文学も芸術も、からっきしわかっちゃいないという事実だ。やっこさん、二十五年のあいだ、やれリアリズムだ、やれナチュラリズムだ、やれくしゃくしゃイズムだと、人様の考えを受売りして来ただけの話さ。二十五年のあいだ、あいつが喋ったり書いたりして来たことは、利口な人間にはとうの昔からわかりきったこと、バカな人間にはクソ面白くもないことなんで、つまり二十五年という月日は、夢幻泡沫に等しかったわけなのさ。だのに、やつの自惚れようはどうだい。あの思いあがりようはどうだい。こんど停年でやめてみれば、あいつのことなんか、世間じゃ誰ひとり覚えちゃいない。名もなにもありゃしない。つまりさ、二十五年のあいだ、まんまと人さまの椅子に坐っていたわけだ。ところが見たまえ、あいつはまるで、生神さまみたいに、そっくり返っていやがる。
(ワーニャ伯父さん「第一幕」より)
でも、このセリフを読んで、私が思い浮かんだのは、漱石の「こころ」ではなく、映画「アマデウス」に出てくる天才モーツアルトに対する先輩教師サリエリの気持ちである。天才と比較されるのでは、凡人はかなわない。