今日(5月19日)も、実家(千葉、ちはら台)の近くを、散歩。
初夏の花がきれい。さつき、コスモス(初夏にもコスモス)、バラ。
投稿者: takeuchi
妻との会話
知人のOさんから、「最近、妻との会話で話題となったエッセーをお送りします↓」というメールを、いただいた。
<妻は、「国民国家は憲法で縛れるけど(現実にはそれもままならない こともあるが) グローバル企業は憲法の縛りからさえも自由・・・ 国 家は企業を法律により統制できるはずだけれど、グローバル企業に 対してはほぼそうしようとしない 利益追求をしやすいような環境づく りには熱心だけれど というようなことかと・・・・・」と理解し、私は「 国民国家の役割がおわった後の憲法とはこんなもの」と読みました。> http://blog.tatsuru.com/2013/05/08_0746.php その内容は、少し政治的なことだが、ほぼ納得できるものであった。安部内閣の教育基本法の「改正」について、教育社会学者が分析していることとも通じる。(たとえば、広田照幸「未来を限定する改正案」朝日新聞2003年5月29日、先週の授業で、これを説明した) 次のような冴えた分析が続く。 <改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)である。><国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が「弱い日本人」にも多少は分配されるかも知れないのだから。改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。><改憲案はあきらかに戦争に巻き込まれるリスクを高めることをめざしている。><戦争機会が増大すればするほど、国民国家の解体が早まる> それを書いている内田樹氏の本は、何冊か読んだことがある。確か、『村上春樹にご用心』も氏の著作である。 それにしても、今夜の夕食のことや子育てのことではなく、このような政治論議、文化論議ができる夫婦って、いいですね。
「こどもとメディア」の授業
今年度前期は、敬愛大学で、「こどもとメディア」という授業も担当している。このようなテーマの授業を担当するのははじめてだが、よいテキストがあり、授業は順調にすすんでいる。
テキストは、永井聖二・加藤理編『消費社会と子どもの文化』(学文社、2010年)。 テキストのメインの題は、消費社会だが、中味は現在のさまざまなメディアを扱い、社会学的考察も歴史的考察も充実している。
選択科目だが、受講生60名余と多く、学生は、グループに別れて、1章を担当し、発表と討論の責任を持つ。毎回いい発表と有意義な議論がある。
次回は,明日(5月14日)で、第4章「子ども文化とメディアミックス」(川勝泰介氏執筆の章)。いいレジメが用意されている。
当日の授業風景
ミルフィュという焼き菓子
村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」についての論議は続いている。(読売新聞 5月12日 朝刊)
この作品から、「東日本大震災と津波、そして原発事故について、何らかのメッセージを受け取ること」もできる(宇野重規)という。そうかな?
多層からなる「ミルフィュという焼き菓子」(橋爪大三郎)という比喩は面白い。
母の日コンサート
久々に高校の文化祭を見に行った気分である。知りあいの方から、「母の日コンサートー1万歳の大合唱」というチケットをいただいて、千葉市民会館大ホールに行った。
知り合いの人が入っている合唱団の定期演奏会のようなものだろうと思っていったら、記念講演があり、その後14の団体が出る音楽会であった。
そのうち、いくつかは障害者の音楽サークルの演奏であり、それを人々が手拍子を打ちながら聴くという心温まる会であった。なかには、高校生の和太鼓、ダンス、合唱があり、 その若さのパワーはすごく、感動的であった(和太鼓の演奏というものをはじめて聴いた)。(肝心の知りあいの方の出た「1万歳合唱団」は、一番最後で時間がなく聞けなかった。ごめんなさい)
世の中には、このような「あたたかい」会があるのだ。「田舎」の千葉ならではなのかもしれないが。