さびれた(?)地方の観光地

スキーのシーズンはそれなりの賑わいのある苗場も、それ以外の季節は閑散としている。消滅してしまう地方がこれから多くなると言われる昨今、苗場も同じ運命をたどるかもかもしれない。そのような場所を訪れるだけで、その手助けになるように思う。

苗場のドラゴンドラは、全長5.5キロメートルで片道25分ととても長く、乗り甲斐がある。しかも、紅葉の季節は、山々がきれい。昨日(18日)は紅葉には少し早すぎたようだが、山頂に近づくつれ、赤や黄色の葉が濃くなっている。冬場にスキーで滑った田代スキー場の雪のない景色を見るのも楽しい。

苗場にもその周辺にもいい温泉がいくつもある。その一つに三国峠を降りたところにある猿ヶ京の長生館の野天風呂(源泉かけ流し)、素朴でお勧めである。
http://yumoto-chouseikan.jp/onsen.html

猿ヶ京と水上の中間に千葉村がある。なかなか風情のある紅葉した木々が見られたが、訪れている人は皆無で、消滅も時間の問題であろう。

見失ったもの

母がデイサービスでお世話になっている方が、ご家族(ご主人、奥様と2歳の女の子)で、母の入院している病院に、見舞いに来てくださった。(10月12日、日曜日)。わざわざ休みの日に、一顧客の見舞いに夫婦で来てく出さるだけで感激なのに、それ以上のことがあった。
私が母の退院後の老人介護施設に関しての情報を尋ねたところ、「自分達のところが中途半端で、受け入れることができず申し訳ない」と、奥様が涙ぐまれたのには、驚いた。
そこのデイサービスは、一軒の家で、ご夫婦で、何人かのヘルパーと、昼間、老人の介護を引き受けているところで、その懇切丁寧な介護には、福祉の分野にはこんな人もいるのだと感心し、いつも感謝しているところであった。
しかし、世話のかかる一顧客の老人のことを、涙するほど気にかけてくれているとまでは、露ほど思わなかった。
 現代の、都会生活の中で、人との関係は、ビジネスライクにしか考えられないようになっている。このような情の深い思いやりの心は、ほとんど失われていると思う。奥様の涙を見て、現代社会の中で、見失ったものを見る思いだった。。

地区運動会―老人が活躍

学校の運動会とは別に、地区の運動会が毎年、小学校の運動場で開催される。各地区の自治会が運動場にテントを張り、そこに地区の人が集まり、地区対抗で競技が行われる。近くの高校の吹奏楽の演奏もあった。
子どもも来ているが、準備する人や参加者は老人世代が多く、老人世代の交流の場、そして3世代の交流の場になっていた。地域再生が言われる時代に、一役買っているのであろう。

自分の、そして自分の世代の歳のこと

あまり自分や自分の世代の歳のことは考えたくないが、次のように感じるのは、やはり歳のせいなのかもしれない。

いつも通る車の行き来の多い交差点で、夕方の7時半ごろまったく車が通っていない時があった。唖然として、この世から人がいなくなってしまったのか(そのような映画があったように思う)と思うよりは、自分が死後の世界にいて場所だけいつもと同じ場所にいるのかと思ってしまった。(実際は、偶然、そのように車が通らない時間帯が一瞬だけあったったということなのだが)。
また、10月10日(金)の朝の8時前のことだが、いつも小学校の前の道は登校する小学生でにぎあうのに、人影がなく、学校もシーンとしていて、上記と同じように感じた(実際は、今の学校は2学期制で、その日は秋休みで休みであることを、近所の人から聞いてわかった)

最近の新聞の動向に関して、とても的確なコメントを、知り合いの先生が書いていて感心した(私の視点 「朝日新聞の改革 「報道の公正」実践から」10月11日朝刊、朝日新聞、添付参照)。その先生とは、藤田博司さんで、以前勤めていた上智大学の教員のテニスクラブでご一緒し、スピードのある直球のストレートをよく打つ方で、一緒にダブルスを組んで、強いペアに勝ったことがある方である。新聞学科の先生で、よく新聞に論稿を寄せ、このような広い視野の方に教わる上智の新聞学科の学生は、いいジャナリスと育つだろうなと感じていた。私より1年先に上智を定年で辞められていた。
そのコラムの最後に、「藤田さんは5日に亡くなられました」と書かれていて、唖然とした。
このようなすぐれた端正な文章を書いて、すぐ亡くなられるとはどのようなことなのか。我々の世代は、いつ死んでもいい覚悟をすべき、ということなのかと思った。
藤田先生のご冥福を心よりお祈りする。

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上記の拙い文に対して、中央教育研究所の水沼文平さんから、下記のようなコメントをいただいた。掲載させていただく。

「自分の、そして自分の世代の歳のこと」を拝読させていただきました。武内先生も私も前期高齢者です。古代インドでは人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つに区切っていますが、私はこの区分を現実に照らし、人生を90年とし、「学生期(30才まで)」「家住期(60才まで)」「林住期(90才まで)」の三区分にしたいと思っています。こうすれば私たちは「林住期」の前半に属することになります。武内先生が交差点や小学校の前の道で感じたことは、(50才前なら単なる現象として受け止めるだけだったでしょうが)、私たち世代が無(死)の世界が近付いていることの意識の表れだと思います。兼好法師は「徒然草」で「死はいつの間にか予期していない時に後ろから迫る」と語っています。
さてここに86歳になる元大学教授のM先生がいます。背筋がピンと伸び、歩きが早く、黒を基調としたシックな装いをしています。毎朝独語と仏語の学習、Windows 8で自作のパワーポイントを作成、オーキングと週一のテニスの練習を欠かさないそうです。T研究所の派遣で東日本大震災避難児童生徒のために「いのちの授業」を継続して実施されています。先日「元気の秘訣は何ですか?」とお聞きしたら「自分の年を考えないこと」またある時は「一生勉強だという気持を持つこと」と言われました。「林住期」にあっても「学生期」の運動、おしゃれ(自己流解釈によれば異性への関心)、勉学が「元気の源」であることを教えられました。いずれ「後ろから肩を叩かれる」ことになりますが、それまではM先生のように若々しいかっこいい生き方をしたいものです。
◇水沼文平

大学教育、施設の工夫

関西大学で「国内留学」の授業が学生の発案でできたという記事を新聞で読んだ。
留学生の多い大学も意外と留学生と日本人学生の交流は少ないので、大学の授業の中に、異文化の交流を目的とする科目があるというのは素晴らしいことだと思った。外国の人との交流は、クセになるほどワクワク感があるということを、体験を通して、学生に知らしめることは必要だと思う。
大学という場は、学生の自主性を重んじる場であるが、自然のままに任せておくと、新しいことが何も起こらない場でもあり、そのきっけを大学が用意することは必要になっている。

大学の施設、設備の快適さも、今の時代に欠かせない。特に、毎日食事をとる食堂の良さは、大学の魅力の一つであろう(多くの大学教員は、研究室や教員のたまり場で食事をとっているので、学生がどのような思いで、毎日食堂でお昼を食べているのか、気が付いていないことが多い。)
新聞での紹介されていたが、神田外語大学の学生食堂が、昔ながらのものが、最近センスの良いレストラン風に一変して、びっくりした(現在のリフォーム技術はすごい)。休みの日には地域の人にも開放している。神田外語の経営陣の見識に脱帽。千葉の大学では、神田外語大学だけが人気や偏差値で上昇している。