クラシックのコンサートを聴きに行く。

ここ数年、若者のライブを聴きに行くことはあっても、クラシックのコンサートを聴きにいくことがない。
それ以前もそんなにはないが、東京文化会館等で聴いたクラシックコンサートや合唱などや、娘がピアノやバイオリンを習っていた頃の発表会やその先生のコンサートを聴きに行ったりする機会は何回かあった。
昨日、久しぶりにクラシックの音楽を音響のいいホールで聴いて、堪能した。

場所は地下鉄・新浦安駅前の「浦安音楽ホール」、演奏者はリカルド・カリア(チェロ)&板橋華子(ピアノ)である。チェロとピアノのアンサンブルでいろいろな曲が演奏され、その演奏と音色に魅了された。ヨーロッパの音楽の香りがした。とりわけ私はヤルネフェルト作曲「子守歌」が心に響いた。
クラシックの音楽会は奥ゆかしく、演奏者の曲の説明やトークがあるわけではなく、演奏者の思いは曲目と演奏で聴衆に伝えるだけである。聴衆の音楽鑑賞力も試されるようで少し緊張する。その緊張感がクラシックコンサートのよさかもしれない。

「浦安音楽ホール」は、今年4月にできたばかりのモダンなデザインのホールで、横壁が木の格子でできていて音が柔らかに聞こえる。新浦安駅の駅前にあり交通も便利で、使用料を調べると平日の夜4時間で18,780円と格安(東京文化会館の小ホールは296,000円)。このような素敵なホールで、いい音楽が聴けて、千葉県の音楽レベルが上がってほしい。

* 浦安音楽ホール  http://ebravo.jp/archives/33048
新浦安駅前にクラシック音楽を中心したコンサートホールが2017年4月8日オープン(商業施設内4F~7F)。コンサートホールは室内楽に理想的な響きと一体感に優れた303席。フルコンサートグランドピアノ2台(スタインウェイD、ヤマハCFX)完備。多目的に利用できるハーモニーホール(可動201席)、スタジオ5室(内GP3、UP1)を併設し、国内外の一流演奏家による公演やアンサンブルシリーズなどを開催。

こんな素敵なホールで、素晴らし演奏で、チケット代も高くないのに、席は満席にならず、クラシックの演奏家の苦労を感じた。(プログラムは下記)

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ハロウィーンについて

日本では外国の年中行事をその背景や本質を抜きに取り入れ楽しんでしまうところがある。クリスマスやバレンタインデイがその典型では、10月31日のハロウィーンもここ数年同じように、日本で大きなイベントになっている。
ディズニーランドはこの時期、来場者もハロウィーンの衣装やデズニーキャラクターに扮しとても華やかなことであろう。(http://www.tokyodisneyresort.jp/special/halloween2017/)

私も授業で、ハロウィーンのお菓子を持っていき、学生とその雰囲気を少し楽しもうと思う。こじつけで(?)、年中行事の教育的意味を考えれば、ハロウィーンも教育学の題材になる。*
<年中行事とは、毎年特定の時期に行われる行事の総称。狭義では、伝統的な事柄、特に宮中での公事を指すが、広義では、個人的な事柄から全国的・世界的な事柄なども含まれる。日本における年中行事は、四季の農作業にかかわる事柄が多い。それに長い間の宮廷・貴族や武士の生活が、民衆の暮らしに取り入れられ、しみこんでできあがったものが多い>(ウキベディア)

少しはハロウィーンの由来を知っておいた方がいいと思い。Webで調べてみる(以前いも同じことをしている)。
<ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe’en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。キリスト教の祭ではない。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。これに因み、31日の夜、カボチャ(アメリカ大陸の発見以前はカブが用いられた。スコットランドではカブの一種ルタバガを用いる。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン(Jack-o’-lantern)」を作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. 「お菓子をくれないと悪戯するよ」または「いたずらか、お菓子か」)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを開いたりする>(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3)

ハロウィーンを,子どもたちはディズニ―ランドでも近所(店がお菓子を配っている)でも楽しんでいる。

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理論と実証

教育(社会学)の研究で必要なこととして、①海外の研究動向に常に目を配り、最新の研究動向を押さえておくこと、②現場の現実を確実に把握し、実証的なデータで検証することの2つをあげることができるであろう。
これまでの日本の教育(社会学)研究が、「欧米の研究の内容を日本に適用することはあっても、その妥当性を日本の学校教育の現場に即して検証する試みがどれだけ重ねられたでしょうか」(馬居政幸)という指摘は、②を強調したものであろう。
しかし、逆に日本の現場を検証するのに、理論なくして自分の見方や感覚だけで検証を進めると浅いものになってしまう(①も重要、自己反省を含めて)。
今回の学会報告で、①に関連して古賀正義氏の報告に教えられたことは、ありきたりの(?)日本の若者調査のデータを、グラフベッターやリン(Lin,N.)の「社会関係資本」という海外の最新の理論を適用して解釈することによって、新しい知見を引き出していることである。
優れた理論は、研究者のデータ解釈を研ぎ澄まし、実証を堅実なものにするのであろう。

天童睦子監訳『教育の危機』(東洋館,2017)合評会 について

宮城学院女子大学の天童睦子さんより、天童さんが本の編集執筆に参画し翻訳をされた素敵な本を送っていただき、その合評会のお知らせをいただいた。
なかには、私もUWでお世話になったアップル先生やポプケビッツ先生の論文も集録されており、国際的な教育理論の翻訳である。
研究仲間も誘っていいとのことなので、ここに掲載させていただく。

日英教育研究会 12月研究茶話会
日時: 12月16日(土)14時30分から17時30分
会場:早稲田大学国際会議場 共同研究室7
演題:『教育の危機―現代の教育問題をグローバルに問い直す』合評会
報告者 天童睦子(宮城学院女子大学 教育社会学)
「教育の危機とグローバルな課題-本書の執筆・監訳を通して」
石黒万里子(東京成徳大学 教育社会学) 
日暮トモ子(目白大学 教育思想史 比較教育学) 
内容
2017年に翻訳書『教育の危機―現代の教育問題をグローバルに問い直す』P.カロギアナキスほか編、天童睦子監訳を上梓しました。そのなかからとくにM. W. Apple「教育の危機、批判的研究と実践の課題」、R. Cowen「大学とTINA」、Sun, J.「人間と共生の教育」を取り上げ、翻訳者がそれぞれの問題意識に引き付けて現代の教育の危機を語ります。

教育社会学会参加記(その4)-学力と社会的格差の研究

馬居政幸氏(静岡大学名誉教授)・西本裕輝氏(琉球大学)の発表(「沖縄における離島と本島間の学力格差―学力調査が及ぼした影響に焦点をあてて」は、教育社会学の主流の「学力と階層格差」論への批判を含んでおり、興味深いものであった。

馬居氏は、次のようにも鋭く指摘している。
「学校の授業過程で生じている事象への実証調査は、教科教育の世界との格闘がなければ、実態とのせめぎ合いにならない」「教育(社会)学的視点から論ずる学力観”と”教科教育が前提とする学力観”は似て非なるもので、二つの集合は重ならない部分が大きい」「教育社会学だけでなく、教育研究者のなかに、学校現場での指導案作りや発問、板書、見取り、声掛け、机間巡視などの基本ワードの機能を実証的に検証する研究どころか、その必要性の自覚すらなかったのでは(ないか)」「欧米の研究調査報告での内容を日本に適用することはあっても、その妥当性を日本の学校教育の現場に即して検証する試みがどれだけ重ねられたでしょうか。」「貧困ファクターでは、地域間格差を説明することはできません」 (いただいたメールより転載)
 
馬居氏の当日配布レジメに加筆修正したものは公開可ということなので、下記に添付する。
学校の中で起こっていることをブラックボックスにするのではなく、カリキュラムや教師の教科指導の仕方まで、実証的に検証しようとする馬居氏らの研究は、学力と社会的格差研究に大きな一石を投じるものになるであろう。

③171022馬居発表後加筆PPT×2pdf